2019/06/25

2018RAAM_11:風邪に効く薬はない

3日目の夜開始

 TSに到着する前、補給係だったゆりかさんに持ってきた薬をすぐ出せるか聞いた。常時飲んでる腰痛薬以外は探さないと無理なようで、個人で持ってきた風邪薬なら出せるとのこと。

 手渡されたのは葛根湯。残念、これは競技の世界で生きていない私でもわかる。麻黄(エフェドリン)が入ってるからドーピングになってしまうのよ。
 チューバシティに着いてから持ってきたドーピングフリーの薬を確認してもらうと、入れたはずの鼻炎薬が無い。

 これは困った。総合感冒薬はある、しかし風邪薬は風邪を根本から治すわけではなく、鼻水といったように症状がはっきりしている今、欲しいのはそれを抑える薬だ。
 クルーに「今でなくてもいいから、どこか入手できるところがあったら鼻炎薬を買っておいて欲しい」と伝える。


 しかし熱中症から徐々に回復してきてると思ったら今度は風邪か…
 「RAAMでは寝ることは許されていない」ずっと前に観たRAAMのDVDで、参加者は自嘲気味にそう呟いていた。
 どんどん衰弱していくRAAMの最中に、風邪を治すことなんてできるのだろうか?

 2号車へ飛び込み毛布に包まる。1時間半で起こしてと伝えたが、もう少し延長して寝た記憶がある。GPSのログを見るとここでは3時間停車、2時間くらいは寝たのかもしれない。
 車内に敷かれたマットの上とはいえ、スタートして初めてのまとまった睡眠。寝汗をグッショリかいて、起きた時には気分はだいぶ楽になっていた。
 疲労により症状が悪化していただけで、早めの睡眠が効いて劇的に改善できたのかもしれない。この回復度合いなら走れるか。


 この先の砂漠、夜は意外と冷える。ジャージを着替え、暖かい恰好をして再出発。

 モニュメントバレーまでは緩やかな登り。辺りは真っ暗で何も見えず、初日の夜と景色は何も変わらない。

 前回はこの区間で大きく失速し、眠そうだとクルーに走行を止められた。直前に睡眠をとったこともあり、比べると多少は集中して走れている。
 それでも少しでも気を抜くと、延々と続く闇へと吸い込まれそうになる。

 眠気の一番の薬は声だ。twitter等の応援メッセージを拾ってクルーがトランシーバーで話しかけてくれている間は、眠気は全く感じずにひたすらペダルを回せられる。
 しかし応援ネタが尽きるともうダメ。

 何でもいいから話しかけてくれればいいのだけれど、クルーもネタ無く話すのは難しいようで沈黙が続く。妻に「ルールでもなんでもいいから読み続けて!」と小言を言ってしまい、他のクルーにも重い雰囲気が…すまん、こういう時に人間性が出るんだよな。


 立ち止まって少し目を閉じれば眠気は飛ぶ。10分程度の休憩を何度か入れ、このつまらない夜を耐える。
 やがて左側に光が見えてきた。これ、石炭採掘かなにかのバカデカい建造物で、ひたすら真っ直ぐで遮蔽物も無いためやたら遠くから見えて距離感が狂う。

 あまりに大きなものがあまりに遠くに見えるという状況を認識できずに、ちょっと先に電車が止まってるように感じられるのだ。

 しかし漕いでも漕いでも、その電車には一向に近づかない。
 もしかしたら電車は自分と同じ速度で走っているのだろうか?挙句の果てには、何者かに妨害されて前にちっとも進まないのでは、とさえ思えてくる。

 RAAMの狂気は徐々に始まってきている。

2019/06/20

2018RAAM_10:飲酒禁止で飲酒運転が多い謎

 TS9、フラグスタッフ。スタートから962km地点の到着は50時間。
 やはり2日目の砂漠地帯は400km/dayと予定していた程度しか進めておらず、初日の遅れを取り返せない。

 そもそもギリギリのスケジュールを立てているわけで、何かのミスを「取り返す」のは不可能だ。
 私の速度的に全てが上手く行った場合の最速ゴールは約10日、クローズタイムまでにはそこから2日弱の余裕があるから、トラブルや自己能力の見積もりミスなどをこの範囲内に収めれば完走となる。

 スタート直後の熱中症、クルーも「おいおい80kmでリタイアかよ」って心配していたようだが、なんとかなりそうか。


 ウォルマートには3号車も待っていて、皆と話しながら1時間ほど休んだ。

 こういった休憩は結果から見れば大失敗。まずウォルマート、駐車場がやたら広くてトイレに行って戻ってくるのに15分コース、車で軽く食べるとそれだけで30分以上かかる。
 クルーに脚をマッサージしてもらったりして1時間、1時間も停車するなら仮眠しなければならないし、寝ないのならもっと短い休憩でなくてはいけなかった。

 RAWでの経験でわかっていたつもりだったのだけれど…できなかったな……。

暫くは幹線道路

 遅れを取り返せないとはいえペースは徐々に戻ってきており、ようやく先行する他の参加者の姿が見え始めた。

前抜きまーす

抜きましたー

 アリゾナ唯一の快適ポイント、フラグスタッフを後にし標高2100mから1200mまで一気に下る。
 この70kmの下り区間、なんと直線だ。

ウォー、豪快な下りの始まりだぜ

 RAAMスタートから100km、砂漠へと下るグラスエレベーターを最初の絶望ポイントと書いた。
 木が無い山岳とか、そこからいくつかの絶望を味わってきて、ここが前半戦最高の絶望ポイントとなる。

またあの砂漠へ向かうのか…

 折角標高2000m超の高地へ登ってきたのに、またあの暑かった砂漠へと続く道が、しかも一直線に下界まで見える。
 道の脇にあるブッシュの密度は先にいくにつれて薄く、白い大地が広がっていく。なんか地平線のあたりは白を超えて赤くなってるのですけど、火星か!

ドリャーっと

 美しいというよりただただ豪快、今回クルーとして参加してくれた友達にここを見せたかった。特に2015年RAWクルーでここまで辿り着けなかった2人には。

サイコーでしょ、この景色

 だからまあ、また砂漠かよ、ってウンザリしながらも気分は最高で、笑いながら叫びながら走っていた。「凄いでしょこの景色」って。

ふう、楽しかった。あれ、寒気が…

 この日は朝から荒れた舌先だけでなく喉の痛みがあった。
 砂漠の乾いた空気と砂かな?と喉飴をなめていたのが、この下りで急に鼻水が止まらなくなり、ある疑いが頭をよぎり始める。
 熱中症で冷たい水を体にかけまくり、寒暖の差をめちゃ作ってしまったせいで風邪をひいてしまったのかも。


 下りも終盤に差し掛かると、片側数車線あった広い道は1車線になり、日本では見ないような大型が物凄い速度で追い越していく中、狭い路肩を走るかなり神経を使う区間となる。
 一昨年は走りづらかった細い道が、両側にデカい街灯が並ぶわけのわからない広さの道へと改修されていた。何もない砂漠の道をこんな立派にしちゃうわけ?アメリカ謎すぎる。

砂がボコボコしてる

 下り切った後は砂地、両サイドには台地のような起伏が見られる。

 メサ、と呼ばれるテーブルマウンテンらしい。地層が縞のように広がり、ここまでとは違ってまた楽しい。
 しかし残念ながらここで夕暮れ、日が暮れてしまえば真っ暗で、どこを走っていてもまるでなにも変わらない。


 ルート89を東へ右折したところで、ナバホ自治区、主催が指定するダイレクトサポート(自転車の後ろにサポートカー併走)必須区間となる。
 どうもこのナバホ自治区、飲酒が禁止されており、外で飲んだ人が飲酒運転して帰ってくるようなのだ。なんですか、それは。

 州警察でなくてシェリフが治めていて、主催と警察との連携がうまくとれていないのかもしれない。なんだかよくわからないけど、ナバホ自治区は危険だから注意するように言われている。
 ナバホ自治区を暫く走り、「車のライトが明るすぎる」とネイティブっぽい人に怒られてビビったりしながらTS10、チューバシティ到着。

 熱があるのか頭はフラフラする。
 熱中症に続きまたやってしまったかも…チェックポイントで待つクルーの皆に「風邪引いた、すぐ寝るから起こさないで」と泣きそうになりながら叫んだ。

2019/06/17

2018RAAM_09:噴霧器で炎上から守れ

 何人かの選手に追いついたといってもまだまだ最後尾近く、予定していたタイムよりずっと遅い。
 食事して軽く休憩して出発、3つめの峠は先を走る他の選手のハザードランプを目標にしながら走った。
 広大すぎて短時間での変化に乏しいRAAM、特に目の前の路面しか見る箇所がない夜間は、遠くに他の選手のサポートカーが見えると元気になる。

 2150mのピーク付近まで登ると、気温はかなり落ちてきた。
 そろそろしっかりとした防寒具に着替えたい。しかし道路脇1.5mの間隔をあけて車が止まれるような箇所はなく、たまに開けた場所があってもそこには駐停車禁止の標識。

 参加者以外誰にも出会わない真夜中の峠、道のわきで少し停車して着替えるくらいなら誰の迷惑にもならなさげなんだけど、ルールはルールだし、ちょっと前に巡回スタッフカーにも遭遇してるしで、場所探しで四苦八苦。
 ちょっと強引に止めて急いで着替えて出発。星空が凄く綺麗だったから、もう少しゆっくり眺めていたかったな。

 ここからは珍しく、急カーブが続くテクニカルな下り斜面。
 レース前のミーティングでは、カーブがキツくて見通しも悪いからここでドローンは飛ばさないように、と言われた。
 …ドローン、前々日に壊れなければ砂漠でくたばっている姿を空撮できたはずなのに。
 今回フロアポンプやらサイコンなど普段壊れたことがないようなものも壊れてて、ちょっとツイてない感。

冷えた体をカップ麺で温める

 夜明けと共にジェロームの町を抜け、1000mほど一気に下る。ここから次のチェックポイント、キャンプベルデまでの工事中区間は車に自転車を積んで移動しろと本部から指示があり、自転車を車載するため指定されたウォルマートに向かった。
 状況により、こうやって車での移動区間が設けられるのもRAAMの面白いところだ。ウォルマートにスタッフが居てチェックされるのかと思いきや、到着してもスタッフの姿は無し。

 GPSで監視されているとはいえ、本当にここから車に乗っちゃっていいのかなー。狭い車内に自転車と私を乗せて、20kmほどのシャトル区間を飛ばすサポートカー。

 疲れているのでこういう休憩区間は嬉しい。ウトウトしながら外を見ると、工事中の道路の幅は車ギリギリでとても自転車を追い抜くスペースは無い。
 交通量は多く、確かにこれが20km続く中、自転車で走るのはクレームがきそうだ。


 キャンプベルデでにはチェックポイントのGS隣のモーテルで3号車が宿泊中。
 到着時にはまだクルーはチェックアウトを済ませておらず、部屋でシャワーを浴びて着替えた。

スタートから40時間でシャワー、ワリと人権ある生活

 その間にクルーたちは人員交代の準備、今まで休んでたメンバーが1号車、1号車が2号車、2号車の人は3号車へとローテーション。3号車は次の交代地点に先回りし、本隊が到着するまで寝る。この繰り返し。

 ホテルを後にし、ここからしばらくは、また1000m以上の登り。
 この区間、前回のRAWでは「路面にオイルが流れているから車に乗って移動しろ」との指示が出て半分くらいズルできた。
 改めて自転車で走ってみるとそれなりにキツい。標高が2000mに近づくにつれ気温は徐々に下がっていくが、それでも日差しは強くて痛い。

思ってたより登り

 登り、なんだか全然前に進まないなあ。

オナカ痛くなりましたー

 前日からのダメージのせいかオナカの調子も良くなくて、トイレを借りられそうな店が近くに無いかクルーに聞いた。
 もちろん道端でのトイレはペナルティ行為だ。しかし下手したら200kmくらい何もない区間、うまく調整するのは難しく、人里離れた場所では、まあみんなそれなりにやっている。
 それでもできれば大を道端でするのは避けたいところ。ガソリンスタンドが数十km先にあるとのことで、そこまでの我慢で人間の尊厳は守られそうだ。

 トイレダッシュする元気もなく、ヘロヘロと登り区間を終えてトイレに駆け込む。
 ここから100km超、次のチェックポイント、フラグスタッフまでは標高2000mを超える高地を走る。

 今までのサボテンしかない光景とはかわり、緑もそれなり増えてきて気持ちがいい(ただやっぱり木陰は無い)。
 前回は「アリゾナLOVE!」と叫んで軽快に飛ばしたこの区間、残念なことに今回は強い向かい風。平坦でもどうにも速度が伸びず、気分も落ち込み気味。

気温は下がったものの風向きがイマイチだなー

 周りに緑が増えてきた、と言っても路肩はカラカラに乾いた草地がほとんど。
 この「乾いた草」が厄介で、サポートカーがその上に停車すると暑さで火がつき、車に燃え移るというのだ。

 「そんなの冗談だろう」と思っているチームが2年に1回くらい実際に燃えている、と事前ミーティングで散々聞かされていた。燃え盛る車から荷物を投げ出してレースを続行したチームもあったと。
 実際このあたりは空気が極端に乾燥しており、所々にある山火事危険度メーターはレッドゾーンを指している。丁度この時期に大規模な山火事も発生していた。

 そんなわけで、道路の脇には数メートルのスペースがあるにも関わらずサポートカーが停車できない。
 気温は高くないから数十分無補給でも構わないが、サポートカーがあまりレーサーから離れてしまうとパンク等のトラブルに気づくのが遅れるという問題が起きる。
 携帯電話の電波状況も良好とはいえず「先行して止める場所が無かった場合は面倒でも一旦Uターンしてきて」と指示。
 「〇〇分経っても到着しなければトラブルの可能性ありで引き返す」ってな決めごとを最初から作っておかなくてはダメだったかな。

 こういったレース中の私からの依頼や提案が、上手く吸い上げられる仕組みがチーム内に作れていなかったのも反省点。クルーの交代時に情報が失われてしまうのよ。


 我々が停車できる場所を探して四苦八苦している中、枯草の上でもお構いなしに停車しているサポートカーがいた。
 そんなんやってると燃えるぞーと見ていると、なんと完全停車する前にクルーが車から降り、ビール樽くらいのデカい噴霧器で車の下に水をかけ続けている!

 うーん、こんな準備してくるチームがいるのか。
 ブルベと同じで、こういった作戦で走力をカバーできる部分は多々ある。速さを競うレースなのだけれど、アドベンチャーっぽくって楽しい。

2019/06/15

2018RAAM_08:辛い砂漠と辛いヤキソバ

 TS5サロメ。まだ大きな眠気はきていないが、クルーの交代作業の間は車内でグッタリ。

走る、水貰う、水かける、走る、水貰う、水かける…

 真っ暗な中でずっとペダルを回していた夜間の気分は、ローラー台に乗っているのとさほど違いは無かった。
 しかし昼になってもそれは変わらない。

 私が登り、特に知らない土地の峠が好きなのは「登り切った先にはどんな景色が広がっているんだろう?」というワクワクがあるからだ。
 この砂漠、基本平地といっても細かなアップダウンはある。先に見えるピークの先に広がるのはさっきまでと同じ景色、次のピークを越えても同じ景色、ただそれの繰り返し。
 そもそも楽しんで走る気なんてないから問題ないわ!あれ?昨日は「今ここを走っているのが最高に幸せ」なんて言ってたっけ?

 サロメを出発して暫くするとどうも走りに違和感が、スローパンクか後輪の空気が少し抜けているようだ。
 パンク修理するのかシーラントで騙して次の休憩ポイントまで走るのか、その辺りの判断に迷って若干時間を取られてしまう。

最初のパンク修理。記憶にあるパンクは4200kmで5回。

 結局2号車を呼び出してパンク修理。

 この先には序盤の難所と言われるYarnell峠が待ち構えている。
 峠というと木々が生い茂った高地を想像するかもしれないが、あれは実際斜度のついた砂漠だ。

 あと少しで日暮れ、陽が落ちて気温が下がれば速度は復活していくだろうし、修理を待って車内で休憩。
 次のチェックポイント、コングレスを通過する頃には辺りは薄暗くなっており、楽しみにしていたプールに入ることなく通過。
 昼間に到着してプールで涼めたら最高だったんだけどなあ。

コングレス名物のプール。Bullshifter Bicycle Clubがボランティアで設置。

 TS6コングレスから次のプレスコットまでは、KOM、キングオブマウンテンを賭けた山岳区間となる(KOMは指定された複数区間の合計タイムで競う)

えっと、峠ですかこれ?

 KOMは、獲れるチャンスなんて万にひとつも無いくらいなんだけど、それでも総合優勝よりはまだ見れる夢で、気温も下がってる今なら暑い時間帯に通過した選手よりずっと有利だと加速してみる。
 はい、夢でした。ここまで消耗しきった体で速く走るのなんてとても無理。日が暮れていく中をマイペースで登坂し、標高1500mほどの頂上へ。

 ここでは2号車も待っていて、防寒具を羽織って下りへ突入。
 遮蔽物のまるでない砂漠、夜間は日中とはガラっとかわって冷える。特にこの区間は3つの峠を登る山岳コースで衣類着脱を何度もすることになる、こんな時にサポートカーは便利だ。


 2つめの峠を越えてプレスコット到着は深夜0時すぎ、こんな時間でもウォルマートは開いていた。
 駐車場にはサポートカーがちらほら、熱中症の大失速からは少しずつ盛り返し何人かには追いついたか。RAAMよりもRAWの選手のほうが多いかな、大型のRVを回してここで寝ている人もいるようだ。

 あおば式マッサージを受けた後、冷えた体を温めるため2号車にオーダーしていたお湯でカップヤキソバを作って食べる。
 ここまでの主食は既に見るのも嫌なジェル、無理やり胃に流し込むだけの甘いジェルと比べたらヤキソバのスペシャルディナー感すごい。

 ちょっと残念なことにクルーが用意してくれたのは、辛いソースのヤキソバ。
 10個くらいある中でなんでこの辛いヤツが選ばれるかな、舌がブツブツでメチャ痛いのになと、噛むのを諦めて胃に流し込む。
 …結局流し込むのか。


 ここでクルーに「辛いヤキソバはやめて」と伝えなかったせいで、次に作られたカップヤキソバも辛いソースのヤツだった。疲れていてなかなか口を開けないのだけど、言葉によるコミュニケーションって大事だな。

 いや、あの時にもう一つ残っていた辛いヤキソバを投げ捨てれば良かったんだよ。

縦断ニュース2日目

2019/06/14

2018RAAM_07:夜型人間だし

 午前7時を過ぎ、サポートカーの追従が不可な時間となった。太陽が昇りだすとたちまち気温は上昇、少しの雲くらいじゃ日陰は全然生まれないようだ。

 序盤の砂漠地帯、何が辛いかっていうとこの日差し。40℃を超える気温よりも、痛みを感じるほどの強烈な日差しが堪らない。
 前回、耳と唇に日焼け止めを塗り忘れたら、一日でタラコ状態になってしまった。

 日本で真夏に走っていて「くっ、この区間日陰が全然無いな」って交差点で電柱の影に入って無駄な抵抗をするのは皆もよく経験しているだろうが、建物も電柱も無いし、木陰というかそもそも木が無い。それが日中はずっと続く。
 この日差しのせいで、腕や脚はUVカバーで覆っていたほうがずっと涼しく感じる。湿度が低く水はあっという間に乾くため、アームカバーに水を染み込ませながら走るのもいい。

 とにかく、アリゾナに入って、最初の朝を迎えて、ここからが過酷なRAAMの本番。
 本番前にずいぶんと時間を失ってしまったし、暑さで内臓をヤられたのか舌の先には口内炎のブツブツが7,8個できていてとてつもなく痛い。
 舌をしまい忘れた猫みたいに、舌先をちょろっと出しながら走ってみる。日本から大量に持ってきた男梅はこの舌ダメージのため全くのお荷物になった。

大型車に抜かれる時は緊張する

 この辺りを横切る道はここしかなく、とにかく大型、それも日本では見ないような数十輪のトレーラーをよく見かけた。家が走ってることもある。


 砂漠での耐熱グッズとして、前回のRAWでは水を染み込ませて気化熱を利用したクーリングベストを山名さんから借りて使った。
 今回の秘密兵器はこれ。着るキャメルバッグ。

吉田ベスト

 こちらは北海道の吉田さんから借りたため、以降ずっと「吉田ベスト」と呼ばれることになる。
 背中にハイドレーションパックを差し込むポケットがついたインナーで、本来ウェアの下に着るらしいのだけれど、いちいちジャージを脱ぐのは面倒でジャージの上から着用。

 キャメルバッグには大量の氷(それから飲んでもいいように塩)を入れ、2セットをローテーションして使う。
 RAAMのようにサポートカーつきのレースで氷の入手が容易な場合は、気化熱を利用するベストより氷で直接冷やしたほうがずっと効果が高い。今回はこのベストにかなり助けられた。

必殺ダブルベスト!

 更に気温は上がり、吉田ベストの上から気化熱系ベストを着た。

 しかしここまでやっても全然速度が上がらない。
 やはり前日のダメージが残りまくっていて、暑さの中走れなくなってしまっている。

 ストラッサー選手のような2日目以降も速度が落ちない宇宙人は例外として、常人は2日目から、とくにこの砂漠区間の速度はかなり落ちる。
 もともとこの区間の失速は予定しており、「最初の24時間で600km、次の24時間で400km、そこから3日間は500km/dayペース」を考えていたのだが、その予定で走るだけの速度が出ない。

 RAAMのルートの獲得標高を考えると、走行時の速度25km/h、これを10日間続けるのが恐らく私の限界値だ。1日3時間休憩+クルー入れ替え等で1時間停車したとして500km/day。
 全てが上手く行った場合10日でゴールもある?いや全てが上手くいくはずなんてないのだからそれは机上の空論で、後半の失速を400km/dayとして11日間でのゴールを想定していた。

 ここまでで予定より5時間半遅れ、この区間で更に遅れを増やすことになっても、まだ余裕は十分にある。
 長丁場だけに目先の遅れに囚われてはいけない、日中は車内での休憩しダメージを最小限に抑えなくてはリタイア一直線だ。

 それに気温が低くなった明け方は通常と遜色ない速度で走れた。今日も夜になってからの速度回復に賭けよう。

レースクイーンみの子(&ゆりか)

 何度も車で休憩しながら、先回りしてモーテルで休んでいる3号車が待つTS5、サロメへ到着。


 そうそう、この時宿泊していた3号車、車の中に鍵を置いたままロックしてしまってドア開けられなくなったらしい。毎年やる人いるから注意と事前に公式が言ってたのがこれか。
 レンタカー会社でその手のカーサービスに加入しているため連絡したところ、到着までにやたら時間がかかるとのこと。まーこんな砂漠の真ん中の小さな町だしな。
 近くでロック外せる人を探すと○○さんはプロだからと紹介され、針金をドアの隙間に入れてロック解除。確か8千円くらいだったと。

 そのプロって多分違うプロなんじゃないですかね……。

2019/06/13

2018RAAM_06:朝焼けと共に復活

 あまりにTS1到着が遅すぎて、既にこの時点で日は暮れ、ダイレクトサポート開始時刻になる。

 予定ではこのTSでロードからTTバイクに乗り換えるつもりだった。
 この先暫くは砂漠で起伏は緩い。TTバイクは体勢が窮屈だけれど、空気抵抗減は絶大で出力減を余って速度はUP。消費エネルギーは減るわけで補給面で考えてもベストな選択だ。

 遅れをなんとか取り戻したい、しかしここ迄の間で腰痛が発生して薬を2倍量飲んでる。TTバイクは3号車に積んでいるので、一旦交換したら違和感を覚えても3号車合流ポイントまでメインバイクに戻せない(スペアバイクになら戻せるし、入れ替えるという作戦もあったが)。
 なによりこれ以上痛くなってしまったら多分アウト。少しの速度増よりも確実性をとるべきと考えた。結局この後ずっとTTバイクは使わず仕舞いだったが、首のことも考えるとこの判断は正しかったと思う。

ここからは夜間走行

 ボレゴスプリングスを出発してみたものの体調は万全からは程遠く、途中10分ほどの休憩を挟みながらゆっくりと進む。
 交通量の多いRAAM序盤、後方から凄い勢いで迫る大型トラックに撥ねられないため、サポートカーが後ろについてくれているのは非常に心強い。ドライバーによって自転車にどこまで近づけるかが違ってきて、ヘッドライトの明るさで「あ、さっきの休憩で〇〇さんに運転代わったな」なんて想像できて面白くもある。

 交差点で軽く停止し、右折したところでスタッフカーに止められた。
 一時停止では「足は地面につかなくてもいいけど確実に停止すること」と事前のミーティングで説明を受けていたが、さっきの停止は少し曖昧で、止まったスポークを1秒目視できるくらいでないとダメだとお叱り。
 それから右折した際にサポートカーから離れたよね?サポートカーの右折を待たずに少し先行したからペナルティーだと。

 初犯だし、一応停止はしていたから今回は見逃そうともう一人のスタッフの口添えでなんとかペナルティは避けられた。
 交通違反でペナルティなんて最低に格好悪い。これ以降、停止線では必ず足をついて止まるようにした。しかしよくこんな砂漠の交差点でスタッフ張ってたなあ。

 RAAM、巡回スタッフや他の参加者からの密告で軽微な違反が見つかると1回1時間のペナルティ、4回目で失格となる。
 信号無視などの大きな違反は一発退場。交通規制なしのTTといっても、どこでスタッフやライバルが見ているかわからない。これが違反の抑止力になっていて好きだ。昔の糸魚川ファストランなんて酷かったからな…

懐かしのブロウリー

 3年前入院した思い出の町、ブロウリーでサポートカーがガソリン給油。
 本当はクルーにあわせてレーサーが停止させられることはできる限り避けるべき(一緒に停車しなくていい昼のうちに給油、あるいは2号車をまわす)。事前に伝えておいてくれればまだ休憩を合わせることもできるが、止まりたくないのに止まるのも勿体ない。今回は熱中症のダメージでヘロっていたので大人しく一緒に止まってアイスを食べた。

 もともとユルかったチームが、序盤のダメージで私の停車時間が増えたことにより更にユルユルになってしまったような気もする。
 もちろんクルーはしっかり動いてくれたし、予想していたパフォーマンスと比べて何の問題も無かった。ただ、クルー都合で停車していいやという雰囲気は、もしかしたらこの辺りで強くなってしまったのかもしれない。となると熱中症のダメージは、単純なタイムロス以上に大きかったか。


 ブロウリーより先は腰のあたりほどの高さの低木のみ生える砂漠地帯だ。
 緩やかな登りがジワジワと体にきてキツい。前回この区間は全くの平地だと思ってたのに…体調によってコースの感じ方はこうも変わるものか。
 街灯や民家の明かりはもちろんなく、路面状況の把握はサポートカーの強力なLEDライトが頼り。

とにかく何もない。後ろに見えるのは休憩していたRAWのサポートカー

 この道路はメキシコ国境とかなり近い位置を走っている、そのため、国境でもないのにパスポートが必要な検問がある。
 事前のミーティングでもレーサーのパスポートは必ず後ろのサポートカーが所持するようにと指示されていた。特にパスポートを見せることなく通過できたのは、私より前に多くの参加者が通過したからだろうか。


 アメリカに居て戸惑うのが単位だ。次のチェックポイントまであと何km?って聞いてるのに、サポートカーからは○○マイル、って返事がくる。
 こっちはペダル回すだけの単純作業員で頭使いたくないから、車内でkmに変換してくれないかな……。

 これはレーサーには関係ないことだけどガソリンの単位もガロン、燃費がガロン/マイルとかもうサッパリわからない。

 同様に温度が摂氏じゃなくて華氏を利用しているのもアメリカ許しがたく、「何℃?」って聞いてるのに「98℉」とか熱湯かよ、ってなる。そんな華氏、ずっと耳にしていたら「あれ?摂氏よりわかりやすくない?」と思えてきた。

 摂氏は華氏に対してスケールが9/5倍されている。ざっくり2倍とすると、華氏の1℉は摂氏の0.5℃。摂氏で整数だとやや大雑把になるけど、華氏だと小数点以下無くても気温の尺度として悪くない感じ。

 それに100℉=37.8℃ってのもいい。クルーに気温を聞いて3桁が返ってきたらもう沸騰する暑さ。
 そんな風に「ああ華氏も悪くないかもな」って慣れてきたらダッシュボードの温度計設定が変更されたようで、摂氏で返事がくるようになった。

ひたすら直線

 曲がり角は100km以上先な、そんなひたすら真っ直ぐな道をひたすら漕いでるうちに気温は30℃以下にまで低下、熱中症のダメージからも回復しだして一気に調子が上がってくる。

 地平線がぐるっと見渡せる大地で、雲ひとつない空の色が徐々に変わっていく夜明けに前回は感動したっけ。
 今年はそこそこ雲がかかってて、もしかしたら日中もそんなに暑くならないんじゃないかなと淡い期待を胸に抱きながら、最初の州境を越えカリフォルニアからアリゾナへ。

 461km、TS4、パーカー到着は19時間44分。
 TS3からのグロス速度は29km/h、速度的にはかなり回復したものの、なんと前回から5時間半以上の遅れ。
 こんなんで間に合うの?


縦断ニュース1日目

2019/06/12

2018RAAM_05:同じ過ち

縦断ニュース0日目

 前々回日記の最後に、クルー作業で忙しい冨永さんが合間にアップしていた縦断ニュースを貼るの忘れてました。
 アメリカ横断なのになぜ縦断?と思われるかもしれませんが、「縦断ニュース」はニュースのブランド名なのです(たぶん)。縦断ニュースがアメリカ横断を特集してるってことですね。



 さて、レース日記へ。

毎度おなじみジム

 名前を呼ばれてGPSトラッカーを受け取りスタートラインに立つ。号令後、後ろのサポートカーを振り返って、レーススタート。

緊張よりワクワクが止まらない

 楽しい、本当に楽しい。十数年前、ぼんやり参加したいと思ったあのRAAMを今から走るんだぜ。本当に友人たちに恵まれてる。
 完走への重圧はどこかへ吹き飛び、ここを走ることができる幸せに昇天しそうだった。

規制されたこの区間で前に一般自転車がいて焦った

 海岸線から右折し、短い坂を登って踏切を超えるとサポートカーとはお別れルート。
 ここから13kmは川沿いのサイクリングロード。パレード区間ということで前走者の追い越しは禁止。
 追い越しても特に咎められはしないが、速く走りすぎた場合サイクリングロード出口で指定時間まで停車させられる(Ave30km/h計算かな)。


 すぐに前スタートの人に追いついてしまい、ドラフティングにならない距離を保ちながら追走。
 嬉しすぎて気を抜くと出力が上がってしまう。ゴールまでは長丁場、焦っても仕方なし、とにかく序盤は抑えなくてはならないから丁度いいか。


 いくらなんでも遅すぎだよなとちょっとイラっとしながらパレード区間を終了したら、前の人は参加者じゃないサイクリストだった。なんだそりゃ。


 10km弱のサイクリングロードが終わってスタッフのチェックを受けるとレース開始、
 最初のチェックポイント(TS:TimeStation)までは142km、獲得標高は2700mという中々の山岳コースだ。前回のRAWでクルーの加藤さんが「アメリカ人はほんとアホだからとにかく一直線に道を作ることしか考えてない」と言っていた。
 まあアホというより多分国土が広いからで、日本みたいに九十九折の斜面なんてのは少なくてやたら直線。カーブを曲がるとずっと先まで続く真っ直ぐな登りを目にすることとなる。

 「アホだ、アメリカアホだ」普段登りは好きなんだけど、序盤からいきなり消耗したくないし、怒りをアメリカにぶつけながらペダルを回す。

タイムラプス動画

 私の走行時の速度、RAAM参加者平均と比べ遅いほうじゃないと思ってるし、体重も軽い。
 登りが得意でなさげな何人かの参加者は追い抜いた。が、逆に凄い速度で後ろから追い抜かれたのが1,2回。
 ヤツら体重80kg台で私より登り速いんだよね。勿論プロなら当然だろうけど、アマチュアのロングライド好きがその体重で登りが速いと、自分まるで勝負になってないじゃんて悲しくなる。

 38km地点でサポートカーと合流し、ここからはリープフロッグサポート開始。
 予定より少し遅いかな。短距離の練習をあまりやってこなかった為か、登坂速度は去年までより落ちている感じがする。ま、重要なのはそこじゃないから良し。

補給の一コマ、360°動画から切り出し

 過去2回、スタートから最初の1200m峠を越えるまでは気温はほどよい感じだった。スタート地点のオーシャンサイドなんて連日寒くて服を買ったくらいだ。
 しかし今年はこの区間で既に暑い。「峠を下って砂漠に入ったら激暑くなるからそこから全力で冷却装備投入」そう予定していたため、折角持ってきたいろいろな装備を出すのが遅れてしまった。

 シャーマーズネック対策で用意したソフトフラスク+ツール缶でのドリンク補給をこの区間で試しており、ドリンクに氷を入れられなかったのも失敗だったし、まだ気温が上がりきっていない日本からの参加で体も慣れていなかったのも大きい。
 前回参加前にやったストーブ焚いてのローラー、あれ意味あったのかもしれん。もしくは他の参加者のように1週間ほど早く現地入りして暑さに慣れる必要があったか。

 何を後悔してももう手遅れで、スタートから80km、暑さで頭が朦朧としてきた。なんだか悪寒もする。
 薬で抑えている慢性腰痛も痛みはじめ、休憩して痛み止めを増量。激しい吐き気に襲われ、数回吐く。

 これは完全に熱中症じゃないか、3年前と同じ、いったい私は3年間何をやってきたんだ。

回復を信じ車内で休む

 救急搬送の悪夢が蘇る。症状は3年前のあの時に似ている。
 気温はまだずっと低いが、このまま走り続けたら確実にリタイアになる。体に水をかけ、エアコンをガンガンに効かせた車内でグッタリした。

 10分、10分と小刻みに2回休んだが吐き気は治まらない。こんな序盤から何やってんだか。100kmリタイアなんて皆にどんな顔して帰ればいいんだ。この先のグラスエレベーターから飛び降りたい。本気でそう思った。


 心配そうに覗き込むクルーの蓑田さんを見て、いつぞやの宇都宮山岳ブルベを思い出した。
 熱中症でヤラれて吐いた際、道の駅食堂の座敷で休憩させて貰った。エアコンの効いた室内で2時間、蓑田さんが後ろから追いついてきた時には症状は回復していて、彼に「熱中症だったとか嘘なんじゃねえの」なんて言われながらその後の山岳を快調に走ったっけな。

 2時間、それだけ休めばなんとかなるかもしれない。3年前からの少しの成長は、ここで休憩を選択できること。
 ただ今から2時間休むと、この先1200mからの急激な下り、通称グラスエレベーターの通過が夜になる。
 砂漠から強い風が吹き危険ポイントとして知られる峠下りを暗くなっての通過は避けたい。ここでの休憩はあと1時間が限度か。下りきって最初のチェックポイントには簡易ベッドを用意した2号車が待っている。そこまで辿り着いて次の手を考えよう。

暑さでヤラれた体でダラダラ登坂

 まだフラっとする頭で最後の登りをクリアし、砂漠を見渡すグラスエレベーターへ。

あれ?あんまり眺め良くないな

 ここ、下界に広がるのはこの先進む砂漠というRAAM序盤の絶望ポイントなんだけど、山の影に入っちゃってて今年はイマイチ綺麗じゃなかった。
 景色を堪能する気分でもなく慎重に下ってTS1、ボレゴスプリングスに到着。

スマン、またやっちまった

 ここまで6時間40分、予定の5時間弱到着からは2時間近い遅れで、順位はほぼ最下位。

2,3号車のクルーと話し少しだけ復活

 峠を越えてから気温はグングン上昇していき、19時過ぎでも39℃。
 ただ長い下りで体も多少は落ち着いたため、予定していた2号車での休憩は取りやめて先へ進むことにした。
 気温が下がる夜にできるだけ走行距離を稼いで失った時間を取り返さなくてはならない、クルーの顔をみたら元気になったし。


 ゆっくりでも漕ぎ続ければゴールまでの距離は近づく。
 だがそれで更に体調を崩してリタイアしては元も子も無いわけで、休むか進むかは、特にこんな時間の無い状況では難しい問題だ。

2019/06/11

2018RAAM_04:スタート前のポエム

 クルーの皆が遅くまで準備している中、一足先に寝た。
 目覚ましが鳴るより少し前の目覚め。途中で起きることもなく、グッスリと眠れて頭も体もスッキリしている。


 実は私はメンタルめちゃくちゃ弱い。完走できなかったらどうしよう、そんなことを考える度にオナカが緩くなってトイレに駆け込み、前日はケツから血を流すほどだった。3年前のRAW初参加の時もこんな状態。2年前の2回目はそうでもなかったかな。

 自転車に乗り始めた頃、レーススタート前といったらもうそれは大変で、緊張して震えが止まらなかった。何度かレースに参加して少しずつ自信がついてくうちにこの震えは無くなってきたけど。

 オリンピックなどの国際的なレベルの選手に対して解説がプレイを見て「〇〇さんはメンタルが強いですねー」と言う。本当だろうか?自分のように前日ケツから血を流してる人なんていないんだろか。
 ああ、でも前回の冬季オリンピックのカーリング女子やスケート選手は、なんかもう最初から緊張もなにもないようなコメントしてたな。小さい頃から場数を踏んで、自信も裏付けもあるんだろな。


 そんなことを考えながらジャージに袖を通した。
 部屋から出て、朝早くから準備をしてくれていたクルーに声をかけ、スタート地点に向かう。


 ロードを買った2004年から14年、このRAAMは私のロングライドの集大成だ。

 ブルベの知り合いで構成されたチーム、それは決してタイムを狙えるようなチームじゃない。
 完全にレース志向でなく、ロングと中途半端な自分のチームにはむしろそのユルさが相応しくて、そんな仲間たちと一緒に参加できて本当に幸せだし、この人たちと一緒にゴールしたいと思う。彼らもきっと、私のゴールを期待してくれている。

 RAAMソロの初参加完走確率は48.3%。平均6万ドルの予算をつぎ込み、週20時間以上練習しても、半分以上の人がDNFする厳しいレースだ。

 完走する自信はある。
 年末から続く慢性腰痛の痛みを薬で騙しながらの参加。ここ数カ月の練習も本当に追い込めたのかどうかはわからない。
 でもそんなのは些細なことで、ここ10年やってきたことを考えたら完走できないわけはない。少なくとも膝の痛みや疲労でリタイアする自分は頭に浮かんでこない。
 今の速度なら1日3時間寝てもゴールには十分間に合う。後半慢性疲労で断続的にやってくるだろう睡魔も、全部織り込み済みだ。


 サポートカーがスタート近くの駐車場に着いた。


 震えは無い。
 クルーの皆は楽しんでくれればいいさ。氷と補給食と、寝床を用意してくれれば、後は私がアナポリスまで連れてってやるよ。

 さて、ちょっとアメリカ横断してくるか。


 この後10日間、厳しさの想像はつく。次の笑い顔は10日後かな。

2019/06/10

2018RAAM_03:サポート練習&前日の様子

 レース2日前はサポートカーの準備、その夜はダイレクトサポートの練習です。

 と、その前に、RAAMのサポートについての説明を。

 サポートカーには、レーサーの後方を走っていいフォロービークルと、RVなどレーサーと同じルートを走ってはいけない大型車とにわかれます。
 我々のサポートカーは3台とも通常サイズ、フォローできるように低速車両を示す△の反射板や屋根の上のアンバーライトなどを装備しています。が、3号車はクルー(1,2号車)のサポートが役割のため、レーサーをフォローする予定はありません。

 で、このフォロービークルは常に追走していいかというとそうではなく、スタートから1000kmなど交通量が多い区間では「他の車と同じ速度で走って路肩に停車して車から降りてのサポート」をしなくてはなりません。これを「リープフロッグサポート」と呼びます。

 しかしローカルタイムで19時から7時までの夜間は、逆にレーサーの後ろ7m以内を追従する「ダイレクトサポート」が義務付けられます。ナバホ自治区などの一部危険区域?もこのダイレクトサポート必須区間。この状態の時は1時間に4回まで、走行中の車から手渡しでレーサーに補給が行えます。
 7m以内と距離が指定されているのは、ヘッドライトによりレーサーの視界を確保するためと、後続から来た車両がフォロービークルを抜いた直後にハンドル切っても自転車が撥ねられるのを防ぐためと思われます。


 まとめると、サポートの方法としては「ダイレクトサポート」「リープフロッグサポート」があり、区間(時間)としては
・ダイレクトサポート必須 (19~7時、一部危険地域)
・ダイレクトサポートをしてはいけない (スタートから1000kmなど指定区間での7~19時)
・どちらでもいい (指定区間以外の7~19時)

 の3種類があるということになります。「どちらでもいい」では基本ダイレクトサポートをしますが、ガソリン給油やクルーのトイレなどで自転車が単独走となってもOKです。必須区間はサポートカーは自転車から離れられないため、ここに入る前に給油やトイレなどを済ますことが重要となります。

 さて我々のチーム、渡米前にサポート練習を1度行いましたが、交通法規的に国内ではダイレクトサポートの練習は難しい状況でした。
 特に車内から手渡しでの補給の練習は全然できていませんので、時間は短いですがこのタイミングでテストしなくてはなりません。

 夕方から夜にかけ、ドライバーと補給係を入れ替えて3回練習を行いました。

サポート練習1回目

 やってみるといろいろと気づくことがあります。
 補給するために自転車の横につけた際ドライバーが必要以上に減速してしまうとか、補給係を自転車から目視できる位置まで前に出てから定速運転にして欲しいとか、2日前にやることじゃない気もしますが、今ここでできるかぎり調整するしかありません。

LEDライト点灯、明るい!

 他にも車からの停止指示が「すぐ停止すべきか、スペースを見つけて停止するのか」がわからないとか、ちょっと走ってみただけで修正すべき事がボロボロ出てきました。
 50km弱走って練習終了。あとは本番で慣れていくしかないね。

 そうだ、サポートカーの大事な役目として、コースブックに書かれたキャトルガードと呼ばれる牛ブロックグレーチングの位置をレーサーに伝えること、なんてのもあります。

写真はgoogle ストリートビューから

 夜中にこれが急に現れると結構緊張するのよね。
サポート練習が終わって、宿に戻って食事してこの日は終了。

 翌日もやることたくさんあります。
車検やミーティングなどのイベントに遅刻したら1時間のペナルティ。毎年スタート前にペナルティ喰らってるチームが出ますが、これだけは避けたいところ。

 日本からの運搬に使った輪行箱や緩衝材などとても自分たちで運ぶ余裕はないため、公式が行っている有料サービスのトラックに預けます。

ゴールまで荷物運んでくれます

 途中でリタイアした場合もゴールまで受け取りにいかなくてはならなくなりますが、リタイア時のことなんて今考えたくもないのでいいんです。リタイアしないし。

 次は車検。

使用する自転車やヘルメット等をチェック

 尾灯のブラケットが1つ行方不明になってしまっていて、スペアバイクを使う際は他のバイクの尾灯と使いまわそうと思ってたのですがダメでした。
 ちゃんと全バイクにセットされてないとOKでません。その場でタイラップで固定できたためペナルティにはなりませんでしたけど危なかった…

 自転車だけでなく、サポートカーのステッカーやアンバーライト、ウインカー等が正常に動作するかもチェックされます。

 フィニッシャージャージのサイズを申告して…

その間皆はお土産購入

 公式の写真撮影。

撮影されてる私を撮るクルーを撮影

牛監督(今回の結果で更迭)

 車検や写真撮影、ミーティングなど指定されたイベントをすべてこなしたら本部でチェックを受けます。

最初に会ったときはもっとゴラム(LOTR)っぽかった

 最終チェックをしてくれたのは3年前に杖をついていた方でした。
 翌年会った時にはリハビリして杖無しで歩けるようになってて、「去年は暑さでリタイアで大変だったね、今年は絶対完走できる。私の目を見ろ、これは魔法だ。」って言ってくれたおじいさんです。

 夕方からのレーサーミーティングまでは中途半端に時間があるため、その辺をブラブラします。

自転車は車線の真ん中走れ標識

 片側2車線以上ある道路でも何故か路側帯に追いやられる日本とは違いますな。

前半組で記念撮影

 レーサーミーティング開始。ミーティングといってもクルーチーフミーティングのようなルールの説明はなく、主に参加者紹介の場となっています。

前回まで同様、前列に陣取り

MCが過去2回のカッコイイ兄さんじゃなくなってるなあ

 2,3年前と比べるとスタッフが少し少なくなってる感じがしました。
チェックポイント通過確認が電話連絡からWEB連絡になったのといい、開催中の公式動画NEWSが無くなったのといい、ボランティアスタッフを集めるのも大変なのかもしれません。

2018年、RAAMソロ参加者

 身長178cmの私はこの中だと低く見えますね。
RAWにはロングライド系でみかける多少太めの体格いい人もいるんですが、RAAM参加者は全員いい感じに絞れています。

2019/06/09

2018RAAM_02:5000km走る準備

 女性陣を中心に夕食の準備が進みます。

肉を焼いたりピザを焼いたり

初日お疲れさまー

 意気込みを語りながら夜更けまで皆とワイワイしてました。流石にこれ以降私は禁酒です。
民泊のこの家へ泊るのは男性6名、女性3名は近くのホテルで寝てまた翌朝集合します。

私のベッド

クルーはここ、しかも1人足りなくてマット

 なんという待遇差。
しかしレースが始まってしまえばもう私はベッドでは寝られんのだ、最後に良質な睡眠をとるのは不可欠なんだ、許してくれい。


 …そして翌朝。

オハヨーゴザイマス

 レースは2日後、しかしやることは沢山あります。なにせ5000km走るわけで。

自転車3台の組み立て

 メンテの時に重要なことなどを説明。
今回のチーム、専属メカニックを用意できなかったのが失敗でした。ドライバーとの兼任は大変すぎる。

根本さんがシールを作ってきてくれました

試走行ってきます

 ある程度走って体を慣らしておきたい所ですが、そんな余裕はなく3台の自転車+ホイールをチェックする程度。


 気温表示40℃超はANT+温度計じゃなくてカメラの温度を拾っちゃってるっぽい。実際は30℃くらい。
 あとヘルメットマウントだとクランクからの距離が離れるせいでパワー繋がりません。レース中はハンドルマウントかな。

 私が試走している間にクルー達はサポートカーの準備を進めます。

ゼッケンペタペタ

こちらも根本さん作

 前回のRAWで車内で仮眠してる間、ドアの開閉を思いっきりバタンとやられて起きてしまうことがあって、そういうことに注意してくれと事前に伝えていたらマグネットを作ってきてくれました。ありがとう。
 RAAM、少しでも早くゴールに辿り着くにはレーサーがボトルネックで、その弱いところを皆で支えねばらならいレースだと思うんです。だからこんなマグネット無くても一人一人がそういう意識を持っていてくれればブツブツ…

 あっ、買い出し部隊が帰ってきました。

サポートカー内に買ってきた収納棚を配置

 でもこれだけじゃ全然ダメ。3年前に初めて参加したRAWではこの状態で出走し、カーブの度に棚が傾いたりして大変でした。

大工班の出番

 自転車レースで大工仕事です。
彼らの働きで棚はしっかりと車に固定されました。

スペアバイクもしっかり固定

 でもこれだけじゃまだダメ。急カーブを曲がった時に棚が飛び出てしまうのですよ。

ゴム紐を引っ掛けて出し入れできつつ普段は簡単に開かないように

 もっと写真撮っておけばよかったな。とにかくこれで棚はバッチリです。
…実際はこの日の夜の試走でまだ固定が甘いことが判明し、翌日補強作業が行われました。

電装主任

 街灯もなにもない真っ暗な中を長時間走るRAAM、レーサーの視界を確保するにはサポートカーの照明が頼り。フロントライトをLEDで増強します。助手席のスイッチでON/OFF可能。

日の丸シールはここに貼っとくか

 他にも音楽を流せられるようにスピーカーを設置。夜間市街地での使用は禁止されていますが、殆どの走行区間は人なんて全然いないところでどのチームも眠気覚ましに音楽ガンガン鳴らしてます。

 持ってきたGoogleHomeにリージョンロックでもあるのかこっちのネットワークでは上手く繋がらない罠にハマったり。

 さてお次は補給係。

どんどん仕分けます

 レース中に何がどこにあるかわからなくなると困るのでラベルを貼って整理。

こんな感じ

 複数の人が荷物を管理するため、これだけやってもレース中あれが無いこれが無いが度々発生しました。

準備風景動画

 このようにレース2日前は忙しく過ぎていきます。

「砂漠は暑いから太陽熱で肉が焼けるわ~」

撮影班、ドローンでカッコイイ映像撮ってくれないかな

 …中には仕事してるのかよくわからない人もいましたが。

 これでサポートカーの準備は完璧。きっとこの競技最速のストラッサーのチームにも負けてません。(レーサーはボロ負けですけど)
 3年前のRAWでもクルーをしてくれた立川さん、冨永さんと、あの時の我々にこのサポートカーを見せてやりたいと笑いました。

 そうそう、わざわざRAAM撮影用に買ったドローン。ここでのテスト飛行中に無線部分が壊れてコントロール不能となり、これ以降映像が撮影されることはありませんでした。それではたった1本だけ撮れたRAAM(の前々日)空撮をお楽しみください。