2021/07/07

2018RAAM_25:修造ください

 明け方はまだ降ったり止んだりが続いていたが、徐々に天気は回復してきた。
雨上がり、気温も上がる

相変わらずなアップダウン

相変わらずなポジション、速度出ない

 首は相変わらず痛く、停止してマッサージの繰り返し。休まずに走ることが全然できない。
もうダメ、肩が動かん

 クルーの冨永さんはここまで私の肩や脚を揉みすぎていて「日本に帰って大丸公園(あおばブルベのスタート地点)で会ったら、揉まないといけない気分になりそうだ」と従者のような発言をしだした。いいぞ。

 止まって首吊りの調整をしていると、後ろからRAAM公式のメディア班。格好のネタとばかりに取材される。
 終盤のシャーマーズネックは彼女たちにしてみれば見慣れたもの?で、ああシャーマーズネックなのね、大変ね、な感じ。もちろん「頑張って」と励ましてくれるが、なにかもうダメな人を見るような哀れみな視線を感じるのは気のせいか。
ああシャーマーズネックね、な取材班

 この辺りでは過去6回と男女合わせて最も多い優勝を誇るSeana Hoganさんと前後した。
 女性は制限時間が21時間長い。この終盤での21時間は大きく、時間に余裕がある彼女は仮眠をとっていた。

 痛みで停車した私を見た彼女のクルーはこちらに駆け寄り、肩をグッと抱き寄せ「大丈夫だ、オマエならゴールできる。これまでの努力は私が良く知っている」と囁いた。

 なんだよそれ!修造か!知ってるわけないじゃん。

 疲れ切ってボロボロの体には、松岡修造さんのような、そんなド直球の応援が心地よかった。
 私はまあ、多分ひねくれた人間で、回りくどい言い回し好きだし、こういう応援は苦手だと思っていた。クルーもここまで献身的に働き応援してくれているが、そこは日本人的というか、バカみたいにただひたすら頑張れといった感じではなかった。
 いや結構言ってくれてたっけな?ま、痛みに耐えて走ってる私に対してかける言葉はあまりなかったんだと思う。とにかくいきなり他のチームクルーからの抱擁にビビった。これはすごい。修造もっとください。
いやここまで来れてよかった

 次のTSではアメリカ在住で、私のジャージを買ってくれた陣内さんが応援に来てくれていた。リタイアせずにここまでたどり着けてよかった。深夜のお便りコーナーといい、応援は本当に力になる。
影を作ってくれる

 ポカポカの陽気で眠くなり、倒れるように芝生に転がる。枕を持ってきて日陰を作ってくれるクルー。そこまでしなくていいよと言いたかったが、疲れていて声も出したくないし、ありがたくサポートを受けて寝る。
 この看板はマヤさんが「これ欲しいわー、どうすればいいのかしら?」といきなりオハイオのボランティアに話しかけ、5ドルで売ってもらったものだ。相変わらずマヤさんらしい。

 そうそう、従者の冨永さんは流石に揉み続ける生活に疑問を感じたのか、科学の力を購入していた。
正直電動はイマイチだった

 ミシシッピ川からの終盤、集中的な雨によりコースが水没しての迂回路は毎年恒例の出来事だ。本部からの連絡によると水没地点の迂回路で距離が数km伸びた模様。この時間が無い時にこれはツラい、と思ったら迂回路が倒木で通れなくなったらしく、水が引いてきた元の道を通れとの指示。
 公平を期すために(後ろにいる選手がコース短縮で前の選手より有利にならないように)、一度迂回路が設定されたら元の道が通行化になっても戻らないというのがRAAMのルールだ。それが戻るのはたぶん珍しい。
水没による迂回はRAAM後半のあるある

 日が暮れた後は、また断続的に強い雨に降られるようになった。
また雨か

 落雷があちこちで発生してる状況で、この中を走らせるわけにはいかないとクルーは判断。車内で1時間ほど雷をやり過ごす。

2021/07/01

2018RAAM_24:降ったり止んだりインディアナ

 ホテルには4時間滞在した。睡眠は3時間程だろうか、頭はスッキリしたが首の状態は変わらない。
 激しかった雨は寝ている間にほぼ上がり、リスタートは小雨の中。
あーまだ降ってるのかよ

雨はすぐに止んだ

 ホテルを出て少し走ると雨は止んだ。中盤はうまく雨を避けられていたけど、流石にそんな幸運が5000kmも続くわけはなく、後半に入ってからは降ったり止んだりの繰り返し。
 どうせどんな状況であっても走ることには変わりない。ただ淡々とペダルを回すのみで、もはや雨が嫌いだとか、そういう感情は湧いてこない。あ、落雷が激しいとクルーに走行を停止させられる為、時間がない今の状況ではそれが厄介か。
細い道が続く

 幹線道路を走ることが多かったイリノイ州の前区間と比べ、この区間は細い道が多くなる。ここまで日本で私が走ってる地域の状況をツイートしてきてくれたストーカーのたけさんは「ビーフライン(埼玉ブルベでよく使われたアップダウンのある広域農道)」と表現していた。
 110kmで1297mの獲得標高はここまでの基準とさして変わらなくとも、時折出てくる急坂はそれなりの出力でないと前に進まない。多少オナカの出た体型の人が混ざっていたRAW参加者と比べ、RAAM参加者が全員絞れていた理由がよく分かった。首も痛むためダンシングして一気に駆け抜ける。
くーまた降ってきた…

 そうだ、嫌いだった雨をなんとも思わなくなったと書いたけど、嫌だったことが一つある。
 ロードシューズ履きっぱなしな足の指はパンパンになっている。雨でフやけて痛みが増すのが…って首に比べたら殆ど感じてなかったんだっけ。
指でかっ

 この辺りからはもう、走っている時の記憶があまり無い。前半よりも細い道や急坂が増え、クルーの動きが手慣れた感じになってきたことは覚えている。
 荒堀さんや山名さんなど補給要員(≠ドライバー)がトランシーバーでサポートカー間の連携をとり、通行止めなどの迂回路も小気味良く誘導してくれる。
 自転車の後ろをブロックして後続の車から守るフォロービークルの動きも、序盤と比べるとかなり安定してきた。
晴れてる間はU字マクラに戻したり

ま、何をどうやっても痛むんだよね

 夕暮れとともに強く振り出す雨。車の中で2時間ほど仮眠し、土砂降りでの走行は避けるも雨は止まず諦めて出発。
 TS40、Greensburg。バックトゥザフューチャーに出てくるような時計台のある町を深夜0時に通過。
雨に光る街灯が綺麗だった

夜は基本ずっと真っ暗だし

 オハイオはアメリカ在住クルー根本さんの居住地。奥さんが手作りの料理を作って応援にきてくれていたようだが、予定よりかなり遅れている私は残念ながら会えなかった。
 クルーに渡されていたオニギリと生八つ橋を車内で食べる。
ウメえ、やっぱコメだよコメ

 夜が明けてオハイオへ。
おはいお~と日本から応援メッセージ