2019/11/20

2018RAAM_17:俺たちストーム突撃隊

縦断ニュースday5、ロッキー越えまで

ツラい夜が明けた

 ここからカンザス、平地でこれまでの遅れを稼ぎたい区間だ。

カンザスといえばオズの魔法使い。ドロシー飛んでっちゃうくらいの風

 残念なことに風向きは悪く強い横風。まあある程度予想していたし、完全な向かい風よりはずっとマシ。

鉄成分の多いクルー喜び

 しかしいい天気~。

ほどよい雲で気温もほどよい

 ただ走るだけの私は知る由も無かったこの間、

 「数百km後方で仮眠をとっていた3号車が寝坊して次の交代地点に間に合わないかも」

 とクルー内に不穏な空気が流れていたらしい。平地をかっ飛ばしてギリギリ3号車は我々をパス。

路面は多少ガタガタ。でも速度は稼げる

 この日記では体調はすっかり回復して気持ちよく走ってるように見えるかもだが、初日の熱中症のダメージはまだ残っていた。
 酷かったのが舌。熱中症で胃がやられた後に下の先に出来た口内炎、一つのブツブツの周りに花のようにブツブツが生まれてもう大変。

 相変わらず舌をしまい忘れた猫のようにチョロっと出して走る。大量に持ってきた男梅はまだ封印だ。

ややグロ画像

 ここまでの数回のパンクで持ってきた予備タイヤのストックが怪しくなってきたため、3号車は次の街へ自転車屋を探しに先行。
 その3号車から非情な連絡が入った。「外凄い雨だよ」

雲の色がホントおかしい。右は3号車の写真

 気が付けば前方からはドス黒い雲が広がってきて、雷がバチバチ放電しているのが見える。
 ああもうこれは見るからに嵐だ。黒い雲に近づくにつれ風はどんどん強くなり、ディープリムのホイールではサポートカーに横付けして補給を受けられないほどになった。

 停車してリムハイトの低いホイールと交換。
 クルーを見ると、奴らこれから起こる惨事を前に笑ってやがる。誰も「これヤバイって」って止めてくれないの?そんなに私が飛ばされるのが見たいのか。

強風に煽られ相当フラついてるのにクルーも煽る

 撮影班はここぞとばかりにカメラを回し、暗闇に突撃する前の緊張した私を煽る。

 ああいいよ、やってやろうじゃないか。サンダーストームの中走ってたストラッサーみたいに速くはないけど、俺たち全員同じくらいバカだよ。

2019/11/19

2018RAAM_16:平地、そして疲労

 ロッキー最後の3000m峠。この峠の下りは舗装状態も良くて速度出るんだよね。
 上下真冬用ジャージ、それから防寒テムレスを身に着けて快適なダウンヒル。

まだ黒いテムレスなんて無かったのだ

 下り終わったあたりで日も暮れ始め、交代クルーの待つ次のチェックポイント、トリニダードへ。

そろそろ日暮れ、急げ!

 トリニダード到着は22時。街の中央広場から少し離れた場所のホテルにクルーが宿泊していた。
 コースを少しでも外れての自転車走行は禁止なため、広場からの数百mを車に乗せて移動、ホテルへ。

 待望のベッド、クルーからは暫く休めばと提案されたが、先を走る選手たちも多くがここで休んでいるよう。RAAM全体で8位~12位くらいが今この街にいる。
 差を詰める、あるいは逆転するチャンスと気持ちはかなり昂っており、1時間弱の睡眠でここを出発。ベッドでの睡眠時間より車中での仮眠のほうが長いのは、振り返ってみて失策だったと思う。ホテルでもっとしっかり寝ればよかったかな。

ゴミのような仮眠スタイル

 先着していた何人かは私が寝ている間に出発していて、順位は1位上がったくらいか。でも数km先には、過去2度同じRAWを走った勝手ライバルのアンディがいる。なんとか彼に追いつきたい!

深夜の走行。ここから追い上げるぜ

 ここからは暫く平地だ。ただ風向きは思ったほど良くはなく、ほぼ横風。それでもこれまでよりは高速に、暗闇の中走り続けて前のアンディとの差を詰めていく。
 前まであと8分、よし、後少しってところでパンク。更にフロアポンプの破損、工具の位置をクルー間で共有できていないなどのトラブルにより大きなタイムロスが発生。
 フロアポンプが破損したのなんて人生初だよ。しかも悪いことに小雨の中での作業で、工具等はここでサビサビになってしまった。

 ドロドロのぬかるみを歩き、クリートの中は完全にドロが詰まってペダルをキャッチできない。靴を交換して2号車に洗って貰うよう頼む。(しかし真っ暗でなかなか作業できる場所が無かったようだ)

 トラブルは仕方ない。

 だけど、レーサーが自転車から降りたらすぐ椅子を用意して一歩も動かなくていい他のチームがある中、ウチはサンダルの位置すら自分で把握してないといけなくて取りに歩いた結果のドロ詰まりだし、ライトのバッテリーは交換してないし…
 あー協力してくれるだけで非常にありがたいなんて何度か書いてるように、最初からクルーに厳しい要求はしてなかったつもりで、それでいいと考えていた。

 でもここにきて疲れが溜まってきてる中、ちょっとそういう、上手く回らなさにイライラしだしてしまった。クルーもかなり疲れが溜まっていたように思う。

 特にマズいのが専属メカニックの不在。我々のチームでメカニック力が高い人は優秀なドライバーでもある。運転で疲れた後に交代でメカニックをやるため、どうしても情報伝達にミスは出るし、責任の所在もわからなくなる。
 これはメカニック当人ではなく、チームを作った自分のミス以外の何物でもないのだけれど、上手く回らなさにもう自分がメカニックの最終責任者になるしかないとか言い出した。まあ走りながらそんなことはできるはずもなく、その後はより皆が頑張ってくれたおかげでなんとかなったのだが。

夜明け前のカンザス

緩やかなアップダウン、それよりも舗装の割れ目がキツかった

 ここまでで疲労はかなり蓄積されている。真っ暗で無彩色な景色のはずなのに、世界がシアンやマゼンダの点描で描かれているように見えていた。
 特に他には実害がないため「目が変になったのかな?」と走り続けていたが、夜明け前には頭がかなりバグってきており、走るのは危険と判断し自転車を止めて車内で寝た。

夜は常にサポートカーが伴走してくれる。が、孤独感はある

 30分ほどで起きたが、まだ目の前は仮想世界のままで、もう1時間眠る。

待望の夜明け

 これで頭はスッキリして、イライラからも少し解放された気がする。この区間は平地とはいえ1m置きに継ぎ目が走っているような酷い路面状態で、上半身やケツが想像以上にダメージを受けている。
 ここからはカンザス、見渡す限り続く小麦で、地平線までずっと茶色だ。

 砂か、小麦か、序盤の砂漠と変わり映えないじゃん。そう思いながらペダルを回した。

2019/11/14

2018RAAM_15:後半組合流&ロッキーを越えろ

 ウルフクリークパスの下り。降りだした雨に自転車を車内に格納せねばならず、仮眠は助手席に座ってとなった。
今回は横になって寝た時間が極端に短かったため首の疲労が回復せず、これがシャーマーズネックへと繋がる要因だったように思う。

 1時間ほどで誰からともなく目覚め、小雨の中を後半組の待つ街、アラモーサへ。
 下りが一段落したところで日光が射してきたためカッパを脱いだら、急激に空が黒くなって物凄い横風とともに雨。
 この中盤区間での敵、暴風&雨の洗礼を早速受けた。

 アリゾナを走っていたのは昨日だったか、たった1日で気候が全く違う。

とにかく横風が強い。看板が飛んでこないか不安だった

 丁度線路を超えた時にパンクしたため、ホイールをディスクからハイトの低いものに交換。横風はこれ以上強くなると走行が厳しいレベルで、休憩も考えサポートカーには遠くに離れないように指示して走った。
 ハンドルマウントしたカメラの動画を見ると横風に逆らって相当ナナメって走っていた模様。

 アラモーサのガソリンスタンドで3号車と合流、イートインスペースでこれまでの報告など打ち合わせを行った。

写真パノラマ合成したら分身の術に

吉田さん山名さんが合流

 この1時間、私は止まるなら眠らなきゃいけなくて、眠くなきゃ走らなきゃいけなくて、クルーと1時間話してる時間なんてなかったはずだ。

 後半に差し掛かり、出発しようとしたらタイヤに空気が入っていないとか、前照灯のバッテリーが交換されていないとか、クルーにも些細なミスが出るようになってきた。
 根本さんが「もうゴールした気になって緩んでいるが厳しいのはここからだ、引き締めて」って他のクルーに喝を入れていたけど、一番緩んでいたのは私だったと思う。

 先のウルフクリークパスにしてもそう、ウォルマートの綺麗なトイレで優雅にクソしてたのもそう、貴重な時間を有効に使わねばならないのに、ここまでのペースで行けると判断してつい気を抜いてしまった。
 もちろん頑張って走ってはいた、が、スタート直後の「失敗したらどうしよう」というピリピリとした感じは、この時点でもう無かったように記憶している。

 「楽しかったけど、楽しいだけじゃ完走は無理だったのかな」全てが終わったあと、冨永さんがボソっと呟いた言葉を、この時の自分に聞かせてやりたい。相変わらず私は激甘で、何もわかってないバカだ。


 さて反省はひとまず置いといて、アサモーサから先の話。

平地だが高地

 180kmほど後に控えるもうひとつの3000m超峠までは、海抜2000m付近の高地を暫く走ることになるコース。
 2000mというと国内では峠のピークに近くて、この辺りの標高では出力が90~95%に低下する人が多い。私が普段ヘボい出力でもヒルクラは意外と登れているのは、この高地でほぼパワーが落ちないってのがあって、ここは平地とはいえ高地だから、きっと他の選手より有利に働くんじゃないかな。

 そんなことをクルーと話しながらの一日。まあきっと他の選手も高地強いヤツばかりだと思うけど、序盤のほぼ最下位という順位からかなり復活してきた。

 この時点では全体で13位、前5人とはあまり差は開いておらず、このペースでいけば追いつけそうか。
 逆に後ろとは少し差が開いていて、私のすぐ後か、そのもう一人後くらいが完走ラインになりそう。こうなると順位も気になりだして、この辺りからはかなり頻繁に(休憩の後は必ず)クルーに順位を聞くようになった。


 標高3046mカッチャーラ峠手前の町、ラ・ヴェータの到着はスタートから97時間。
 ここは第19チェックポイント、1828km地点。峠越え&クルー交代もあってこの日の走行距離は落ちている。既に丸4日が経過しており、この辺りから日にちの感覚があやふやだ。

天気はダイナミックに変わっていく

 チェックポイントのガソリンスタンドで1時間ほど仮眠、暗くならないうちに最後の3000m峠を越えなくては。

景色を眺める余裕も

 カッチャーラ峠は道の広さ、周りの木々の雰囲気など日本の峠のような感じで(麦草とかあの辺りかなあ)、クルーの応援を受けながら気持ちよくピークまで登れた。

2つ目の標高3000m峠、これでロッキーはクリア

 軽く長袖ジャージを羽織って一気に下ろうとするも3000m峠はそんなナメたプレイを許してくれず、数百m下っただけでもう一度停車してフル防寒具に着替え。

やっぱ寒い!

 この後は強風&雨のカンザスが待ち構えている。

2019/11/13

2018RAAM_14:最高標高地点での夜明け

 クルーが休んでいたホテルでシャワーを浴びて30分ほど仮眠。
 スッキリしてさあ出発!と外に出るとなんだかクルーが揉めていた。

 RAAM、いろんな性格の、しかもほぼ全員ランドヌール(ズ)というクセのある奴らが2週間同じ車で過ごすわけで、そりゃ常に円満に行くわけじゃない。
 お金でドライバーを雇うとか、チームの作り方にもいろいろあるけれど、私は「私の完走を願って」いてくれるクルーであれば、多少のイザコザなんて後で笑い話になると思ってる。

 「まったく、レーサーが出発できる状態なんだからクルーの都合で止めるなよ」ってのは正直道中どれだけ感じたかわからないが、それでもクルーの皆は大して速くもなく弱点の多いこんな私の事をよく理解し、協力し、多少の差はあれゴールを願ってくれている。それだけで満足だよ。
 まあ小言は言うけどホンキで怒ってるわけじゃない。


 さてクルー入れ替え業務で空港に向かう3号車と別れ、目指すはRAAM最高地点、アメリカの大分水嶺、標高3309mのウルフクリーク峠。
 しかしこの先の道が……中央分離帯もあり広い幹線道路ながら街灯はほぼなく真っ暗で、ゆったりとした登りが延々と続いていて、とにかく眠い。

 100kmも走らないうち、次の町パゴサスプリングスの手前のガソリンスタンド前で1時間ほど仮眠することになった。

ごめん眠いわ…

あおば式マッサージは蓑田さんから冨永さんに引き継がれた

 ここまで3日間、ベッドでの睡眠は先ほどデュランゴでの30分だけ。2号車には横になれるスペース&マットがあるとはいえ、ちゃんとしたベッドとの疲労回復の差は歴然、ここで車中仮眠するならさっきもっと寝ておけばよかった。

 悪いことに天気予報は下り坂。雨の中、3300mを超える峠に朝5時到着とか寒さで死ねる。なんとか頑張って早いうちに通過しないと。ここからは私の好きな登りだ、登りで眠くなるわけがない。

 奮い立たせようとするも眠気は消えず、眠気を払うためにサポートカーに音楽流してと頼むが、どうにも知らない曲で登坂とリズムも合わなかったのでやっぱ止めてと再依頼。注文の多いレーサーですまぬ。

 途中停車して仮眠の繰り返し、しかも思ってたより峠がキツく時速10kmを下回る速度でゆっくり登った。

好きな登りのはずが仮眠&休憩の繰り返し

 ピーク到着は予想よりずっと遅くて、朝6時。しかし幸運にも雨は降り出さず、雲に覆われた空が地表の冷却を防いでくれたのか、気温は5,6℃。この峠の6月の平均最低気温は1.7℃で、明け方到着で氷点下も予想していただけに嬉しい誤算となった。

 全然寒くないよこれ。

いやメチャ寒い

 標高3309mは台湾の武嶺(3275m)を抜いてこれまでのロード走行最高地点。
 急激な気候の変化で気管支系がダメージを受けているのか、単なる疲労か、普段は山岳でも平気な呼吸が物凄く息苦しい。
 全然出力を上げて漕いでないのにゼーゼーして体が動かず、休みがてら記念撮影。

こういう楽しい旅行気分で時間費やしてたのがダメだったな…

 後ろから来た選手は、ぱっと写真1枚撮って行ってしまった。こんなことしてる余裕は無いわけで、あれが正解。


 服を着込んでのダウンヒルは、空気の薄さもあってか頭がフラフラして意識が飛びそうになる。
 こんな下りでの居眠りは大事故、最悪なことに雨も降り始め、路肩に車を止めて暫く仮眠することにした。

 暖房でガンガンに温めた狭い車内。普段車内での仮眠は私が軽く寝る程度なのだけど、クルーも相当疲れていたのか、気が付いたら全員が眠りに落ちていた。

2019/11/12

2018RAAM_13:RAWゴール地点で気分は完走

 前回日記のフォレストガンプポイントとちょっと前後しちゃうけど、ユタ州突入からモニュメントバレーの写真をいくつか。

アリゾナ州から…

ユタ州へ

なんというかほんとスケールがデカい

序盤の熱中症ダメージもだいぶ回復してこの辺りは終始笑顔だった

この上に乗っかってる岩がメキシカンハット、えっ?これだけ?って感じ

1号車に取り付けた国旗が深刻なダメージを受けてきている

アップダウンはそこそこ

遮蔽物の無い、暑い昼がまた始まる

あーなんもねえなー

ヨシダベスト再び投入

 この辺りの気温も40℃近くとまだまだ暑い。
 それでも周りの景色は砂地ではなく岩山で、アリゾナとはかなり違いを感じる。変な形に侵食された岩山を登ったり下ったりしていると、サイクリングをしている団体に出会った。
 サポートカー無しでこんな店も無いところ良く走れるなあと感心していたが、どうやらイベントなのか?数十人がゴールを目指して各々走っているようで、こんな暑い中よくやるわ。RAAMはもう、仕方なしに走ってるみたいなものだし。

似たようなペースで抜きつ抜かれつ

 こっちは1000km超走ってんだよ、と言い訳。


 デュランゴ付近では山火事が発生しており、噴煙に備えてマスクを準備するのがいいという本部からの連絡を受け(携帯にショートメッセージが来る)、クルーが防塵マスクを山ほど買ってきた。

筋肉が無く貧相な胸を埋める

 うーむ、口塞いで走るの嫌いなんだよね。
 でもRAAMリタイア原因の大きな理由に肺のトラブルというのがあって、急激な気温の変化やカンザスに入ってからの小麦の粉塵でヤラれたりするらしいので、なにかあったらつけるしかないか。

 が、デュランゴに到着時には煙は無くて結局このマスクは上のしょうもない写真を撮ったのみでその役目を終えた。

あついかみん

牛をブロックする巨大なグレーチング、キャトルガード

ナナメになったら完全に落ちる穴幅、夜中に通過するのは結構怖い

川だー

 ユタを抜け、4つめの州、コロラドに入ったあたりから周りに木々が見られるようになってきた。
 TS14、コルテスは結構大きな街で走りづらい。サポートカーが停車できるような路肩は無く、ウォルマートまで先行して貰った。

サポートカーに守られながら走る自転車

 ここからは前半戦のRAW最高地点2300m地点まで登る。上り坂の砂漠にはウンザリしていたところで、日本のような緑ある峠を気持ちよく走って一気にピークまで。
 デュランゴまでの登りは本当に最高だった。これまでRAWで走った過去2回ともこの区間になるといきなり元気になって、普段と同じような感覚でヒルクライムを楽しめた。

 常識的な気候になったおかげで、体は疲れていてもこの先なにも問題なく走り続けられる気がしてくる。距離やアップダウンの問題ではなく、普段味わったことのない暑さの中を走るここまでの区間は、本当に難しい。


 この区間の写真が見当たらないので冨永さんの動画で。

縦断ニュース4日目

 RAWのゴール、1494km地点デュランゴへは77時間、3日目の日暮れ前に到着した。
 2016年のRAWとほぼ同タイム。予定より遅れた5時間は序盤で起きた熱中症でのロス、それ以降はまあ問題なく走れているか。

 スタート直後はどうなることかと思ったけど、序盤難所の砂漠クリアしたからもう完走は大丈夫でしょ。(フラグ)

心温まる別れシーンに見えるが、腹にパンチを入れられている

 ここデュランゴではこれまでマッサージ等を熱心に行ってくれた蓑田さんが帰国、空港まで送った後に後半組の吉田さん山名さんを拾うため、3号車が暫く離脱する。