2021/07/07

2018RAAM_25:修造ください

 明け方はまだ降ったり止んだりが続いていたが、徐々に天気は回復してきた。
雨上がり、気温も上がる

相変わらずなアップダウン

相変わらずなポジション、速度出ない

 首は相変わらず痛く、停止してマッサージの繰り返し。休まずに走ることが全然できない。
もうダメ、肩が動かん

 クルーの冨永さんはここまで私の肩や脚を揉みすぎていて「日本に帰って大丸公園(あおばブルベのスタート地点)で会ったら、揉まないといけない気分になりそうだ」と従者のような発言をしだした。いいぞ。

 止まって首吊りの調整をしていると、後ろからRAAM公式のメディア班。格好のネタとばかりに取材される。
 終盤のシャーマーズネックは彼女たちにしてみれば見慣れたもの?で、ああシャーマーズネックなのね、大変ね、な感じ。もちろん「頑張って」と励ましてくれるが、なにかもうダメな人を見るような哀れみな視線を感じるのは気のせいか。
ああシャーマーズネックね、な取材班

 この辺りでは過去6回と男女合わせて最も多い優勝を誇るSeana Hoganさんと前後した。
 女性は制限時間が21時間長い。この終盤での21時間は大きく、時間に余裕がある彼女は仮眠をとっていた。

 痛みで停車した私を見た彼女のクルーはこちらに駆け寄り、肩をグッと抱き寄せ「大丈夫だ、オマエならゴールできる。これまでの努力は私が良く知っている」と囁いた。

 なんだよそれ!修造か!知ってるわけないじゃん。

 疲れ切ってボロボロの体には、松岡修造さんのような、そんなド直球の応援が心地よかった。
 私はまあ、多分ひねくれた人間で、回りくどい言い回し好きだし、こういう応援は苦手だと思っていた。クルーもここまで献身的に働き応援してくれているが、そこは日本人的というか、バカみたいにただひたすら頑張れといった感じではなかった。
 いや結構言ってくれてたっけな?ま、痛みに耐えて走ってる私に対してかける言葉はあまりなかったんだと思う。とにかくいきなり他のチームクルーからの抱擁にビビった。これはすごい。修造もっとください。
いやここまで来れてよかった

 次のTSではアメリカ在住で、私のジャージを買ってくれた陣内さんが応援に来てくれていた。リタイアせずにここまでたどり着けてよかった。深夜のお便りコーナーといい、応援は本当に力になる。
影を作ってくれる

 ポカポカの陽気で眠くなり、倒れるように芝生に転がる。枕を持ってきて日陰を作ってくれるクルー。そこまでしなくていいよと言いたかったが、疲れていて声も出したくないし、ありがたくサポートを受けて寝る。
 この看板はマヤさんが「これ欲しいわー、どうすればいいのかしら?」といきなりオハイオのボランティアに話しかけ、5ドルで売ってもらったものだ。相変わらずマヤさんらしい。

 そうそう、従者の冨永さんは流石に揉み続ける生活に疑問を感じたのか、科学の力を購入していた。
正直電動はイマイチだった

 ミシシッピ川からの終盤、集中的な雨によりコースが水没しての迂回路は毎年恒例の出来事だ。本部からの連絡によると水没地点の迂回路で距離が数km伸びた模様。この時間が無い時にこれはツラい、と思ったら迂回路が倒木で通れなくなったらしく、水が引いてきた元の道を通れとの指示。
 公平を期すために(後ろにいる選手がコース短縮で前の選手より有利にならないように)、一度迂回路が設定されたら元の道が通行化になっても戻らないというのがRAAMのルールだ。それが戻るのはたぶん珍しい。
水没による迂回はRAAM後半のあるある

 日が暮れた後は、また断続的に強い雨に降られるようになった。
また雨か

 落雷があちこちで発生してる状況で、この中を走らせるわけにはいかないとクルーは判断。車内で1時間ほど雷をやり過ごす。

2021/07/01

2018RAAM_24:降ったり止んだりインディアナ

 ホテルには4時間滞在した。睡眠は3時間程だろうか、頭はスッキリしたが首の状態は変わらない。
 激しかった雨は寝ている間にほぼ上がり、リスタートは小雨の中。
あーまだ降ってるのかよ

雨はすぐに止んだ

 ホテルを出て少し走ると雨は止んだ。中盤はうまく雨を避けられていたけど、流石にそんな幸運が5000kmも続くわけはなく、後半に入ってからは降ったり止んだりの繰り返し。
 どうせどんな状況であっても走ることには変わりない。ただ淡々とペダルを回すのみで、もはや雨が嫌いだとか、そういう感情は湧いてこない。あ、落雷が激しいとクルーに走行を停止させられる為、時間がない今の状況ではそれが厄介か。
細い道が続く

 幹線道路を走ることが多かったイリノイ州の前区間と比べ、この区間は細い道が多くなる。ここまで日本で私が走ってる地域の状況をツイートしてきてくれたストーカーのたけさんは「ビーフライン(埼玉ブルベでよく使われたアップダウンのある広域農道)」と表現していた。
 110kmで1297mの獲得標高はここまでの基準とさして変わらなくとも、時折出てくる急坂はそれなりの出力でないと前に進まない。多少オナカの出た体型の人が混ざっていたRAW参加者と比べ、RAAM参加者が全員絞れていた理由がよく分かった。首も痛むためダンシングして一気に駆け抜ける。
くーまた降ってきた…

 そうだ、嫌いだった雨をなんとも思わなくなったと書いたけど、嫌だったことが一つある。
 ロードシューズ履きっぱなしな足の指はパンパンになっている。雨でフやけて痛みが増すのが…って首に比べたら殆ど感じてなかったんだっけ。
指でかっ

 この辺りからはもう、走っている時の記憶があまり無い。前半よりも細い道や急坂が増え、クルーの動きが手慣れた感じになってきたことは覚えている。
 荒堀さんや山名さんなど補給要員(≠ドライバー)がトランシーバーでサポートカー間の連携をとり、通行止めなどの迂回路も小気味良く誘導してくれる。
 自転車の後ろをブロックして後続の車から守るフォロービークルの動きも、序盤と比べるとかなり安定してきた。
晴れてる間はU字マクラに戻したり

ま、何をどうやっても痛むんだよね

 夕暮れとともに強く振り出す雨。車の中で2時間ほど仮眠し、土砂降りでの走行は避けるも雨は止まず諦めて出発。
 TS40、Greensburg。バックトゥザフューチャーに出てくるような時計台のある町を深夜0時に通過。
雨に光る街灯が綺麗だった

夜は基本ずっと真っ暗だし

 オハイオはアメリカ在住クルー根本さんの居住地。奥さんが手作りの料理を作って応援にきてくれていたようだが、予定よりかなり遅れている私は残念ながら会えなかった。
 クルーに渡されていたオニギリと生八つ橋を車内で食べる。
ウメえ、やっぱコメだよコメ

 夜が明けてオハイオへ。
おはいお~と日本から応援メッセージ

2021/06/30

2018RAAM_23:ミシシッピを越えてからがレース

 スタートから7日と21時間、最後の足切りポイントとなるTS35、Mississippi Riverに到着。3380km。
まだ余裕あると思ってグルグル回って遊んだりしてた

 カットオフタイムまでは2時間の余裕、個人スタート時刻を加味すると3時間強。
ここを越えればあとはゴールまで足切りは無いし、前日はホテルでの睡眠や豪雨やらで全然進めなかっただけで、ペースを上げていけるんじゃないか。脚の疲労はあまり感じていないし。

 少し休憩し、クルーと最後の関門通過を喜び合う。砂漠のような暑さは無いが、それでも最高気温は35℃近くまで上がり、まだまだ暑い日中を走ることとなる。吉田ベストを着て出発。
あれ、肩から首の痛さが増して…

 再スタートして直ぐ、この首ではキャメルバッグはとても背負えないことに気づく。肩回りに重みがかかると首の痛みがより激しさを増して全然ダメ。サイズの小さいバッグに変えてみるもやはり変わらず。
この時点の自転車

 ヘッドチューブ横にダクトテープでツール缶を止め、その中に入れたソフトフラスクが給水の頼り。シートチューブにもボトルが刺さっているが走りながらこれを手にするのは難しく、ただの飾りだ。(フォローカーと別れてしまった時の非常用飲料水)
 この給水方法は現地での思い付きの変更ながら上手くいったと思う。ただ食事は走りながらはとても無理で、知らず知らずのうちにに停車時間が増えていった。ある程度の距離を走ると首を休めたくて止まってしまう、停車回数も多くなる。

 ハンドルに巻いているのはDHバー肘置きのパッド予備。腕から肩にかけて伝わる振動を少しでも抑えられるように巻いた。太いハンドルは好きではないが、もうハンドル握って走ることなんてないのでこれでいい。
 めちゃ体の起きたポジションで速度なんて全然でてないのに、なんかディスクの乗り心地?が良くて頑なに「ディスクがいいー」って言い張っていた。

 ヘルメット後ろから腰にかけてゴムチューブで引っ張っているため、ヘルメットが後方に引っ張られてオデコが擦れるのが地味に痛い。
 ヘルメットを引くではなく、背中からポールのようなものを伸ばして顎を支える器具をその場で作ればよかったかな。恐らくソレを作れる人はクルーに何人かいたのだけれど、クルーも日々の業務に追われていて余裕は無かった。
いい天気なんだが暑い…

暑い…まあ35℃くらいなんだけどね

 イリノイ州に入り、TS36、Greenville。改装状態なマクドナルド横の仮設トイレで、血だらけになったケツのキズパワーパッドを張り替える。幸いにも?首の痛みが強すぎるのが原因か、その他の部分は全く痛みを感じない。スタート直後にあれだけ危惧していた腰の痛みも皆無だ、やったー。
 何度かトイレを往復して、クルーから「その辺ですれば?」と言われた。本人はまだ完走する気マンマンであったが、クルーはグロス速度低下のヤバさをだいぶ感じていたようだ。とにかく何か理由をつけて休んでしまう。
暑さでヤられてるのか首か、停車回数が多すぎる

 1号車がパンク修理で離脱していたのか、何か別の原因だったか記憶が定かではないが、確かこの辺りでフォローカーが暫くいなくなった記憶がある。
 両サイドの畑は集中的な雨により水没してて、そんな中GPSを頼りにペダルを回すのだけど、一人の時間が長く続くと本当にこの道で合っているのか不安だった。確か結構ゴチャゴチャした道で未舗装路区間も通ったのよね。
クルーがいるのは心強い。揉んでもらえるし

 夕方からは降ったり止んだりの天気が続いた。寒くはないのでカッパは着ずに走るが、やはり雨は体力を奪う。
ザッと降って止むことが多い

 そして夜。
夜はツラい

 未明から降り出した雨は徐々に強さを増し、体を冷やしながら明け方にインディアナ州に突入。TS38、Sullivan。3号車が宿泊していたチェックポイント手前のスーパー8に入り、濡れた体をシャワーで温めて寝る。
雨が目に入って痛くて

 スタートから8日半が経過。3650km、ようやく3/4。残りはあと1PBPくらいか。

縦断ニュース:Day9

2021/06/21

2018RAAM_22:車もパンク

 スタートから7日が過ぎ、そろそろ慢性的な疲労の影響が出はじめてきた。
 具体的には突発的な眠気。これまでは「2,3時間後くらいに仮眠したいから2号車(中で横になれる)回しといて」って指示する余裕があったのに、この辺りからは元気だった30分後にはもう眠気で動けなくなる、なんてことが増えだす。2号車クルーの作業も大変になり、後日反省会では「1号車に寝床を作るべきだった」という話が出た。
超ブラックなクルーの労働環境

 TS33、Jefferson Cityを超えミズーリ川沿いの細い道に入ると立ち止まって数回休むことが多くなり、その後車内で1時間ほど仮眠。
 クルーに「眠気を覚ますためになにか話しかけて」と頼む。無茶ぶりされた荒堀さんはトランシーバーを常に通話状態にし、自分が初めてアメリカに来てハンバーガーを食べた時とか、なんかそんなような話を他のクルーと始めてくれた。

 他の人の声は全然聞こえず、荒堀さんの声もか細くわずかに聞こえるだけ。何を言っているのかはあまり聞き取れない。5分おきくらいに「頑張れー」と声をかけてくれるだけで良かったんだが、クルーの心遣いは嬉しかったし、そのまま良くわからない会話を…聞いて…喉が渇いてきたからドリンクが欲しいんだけど、「ドリンクー、ドリンクー」
 あれ?クルーに伝わらない?使っているのはトランシーバーで、普通の電話のように双方向が同時に話すことができない。クルー側の通話ボタンが押されっぱなしな為、こちらからの声は届かないようだ。

 減速して手でサポートカーを呼び、「ドリンクだってばくぁwせdrftgyふじこlp」と叫ぶ。そんなことが2,3回続いた後「やっぱ会話無くていい」伝えた。車内では「何か話せと言ったから何か話したのに話すな言われたなんだアイツ」と大顰蹙だったことを後日知る。

 眠気から少し回復して走り出すとポツポツと雨。クルーからは、この先恐ろしいものが待ち構えていると連絡。
確かにこれはヤバい

 雨の間は休憩なんてやってて完走できるほどの脚はないが、この雨の中走るのはダメージが大きすぎるようにも感じる。
 スポット的な豪雨であり、しばらく待てば雨雲は通過するだろうと、本降りになった時点で1,2号車とも路肩に止め、激しい雨音を聞きながら皆で寝た。暖房を効かせた車内は心地よく、狭い中で皆死んだように眠ったのを覚えている。一瞬で3時間が経過した。

 アメリカを走っていて予定外だったのは携帯電話の電波。序盤の砂漠は仕方ないにしても、それ以降はそこそこ繋がる想定だったのだが、まあ繋がらない。
 飽きてきたから応援メッセージ読んでよ、とクルーに言っても「電波が入らないから無理~」が続く。
 それにクルー引継ぎのときに「応援メッセージの引継ぎ」なんて行われないわけで、「質問がある方はレーサーに聞くのでなんか書いて~」->暫く電波不毛地帯が続く->他のクルーになり質問は無視、なんて放置プレイが続いてしまった。折角質問書いてくれた人たちゴメン。

 電波が入らないとネットワーク頼みの音楽の選曲もできなくて、車の前につけたスピーカーから流れてくるのは元から妻のスマホに入っていた徳永英明とミスチルのみ。
 いや徳永好きだけど、眠気覚ましにかける曲としては180度ズレてない?シーソーゲームなんてもう何十回と流れていて、業の深さしか感じられない。

 そんな中、後ろから聞こえてくるカチカチという音。しばらくなんか鳴ってるな~なんて思ってたら、ガソリンスタンドでクルーが「どうやら車がパンクしているっぽい」タイヤを見ると、確かにデカいネジの頭が。

 クルーの皆もパンクの経験なんて無くて、しかもこのアメリカの田舎の深夜でどこで直したらいいのかよくわからん。
 夜間はどうしようもなさそうなのと、空気の抜けはわずかで補充していけば朝までは走れそうとのことで、ガソリンスタンドで空気いれてそのまま追走。
ガソリンスタンドの度に空気補充

 夜が明けてからガソリンスタンドで修理してくれる場所を聞き、フォロービークルを2号車と交代して修理へ向かう。
 RAAMのサポートカーだと言ったら「Facebookに書いてくれればタダにするよ」と、修理費がかからなかったらしい。部屋を増やしてくれたホテルといい、なんだかアメリカはアメリカっぽい。
刺さっていたネジ

 サポートカーは右輪を路肩に落として走ることが多く右輪がゴミを拾いやすいようで、この後ミシシッピ川手前でもう一度パンクした。(その時は15ドルで修理)
2回目のパンク修理

 3日前、トリニダッドを出た後に壊れたフロアポンプはウォルマートかどこかで買った安物のポンプに置き換えられていたが、新しいポンプも既に取っ手の部分が折れていた。まったく、想像してなかったものが次々とよく壊れる。首も体もボロボロだよ。
8日目の朝

 ツラい夜が明けた。最後のチェックポイント、ミシシッピリバーまであと少し。

2021/06/18

2018RAAM_21:ネックは首

 追加料金なしに2から4部屋に増やしてくれたホテル、代わりに現地メディアの取材を受けてという。ベッドでの睡眠で頭はスッキリ、起きて取材を受けて再出発。
何の取材だったのかはよくわからん

 新人賞狙えるかも、そんな期待は1日経たないうちに妄想だったと知る。問題なのは首だ。
 シャーマーズネックは痛みもなく首が全く保てなくなると聞いていた。私はまだそこまで進行していないのか、向きを変えようと思えばなんとか動かせるかわりに常に強い痛みが続いている。
 痛みの中走るのは慣れている、が、これは「プランクをやり続けて腹筋がプルプルする」感じに近くて、どうにも耐えるのがキツい。

 ※「プランクを続ける」とも少し痛み?の感覚が違って「精子を出し続けてもうこれ以上出ないのに無理やり絞り出される感」という表現をしたことがあったがあまりに伝わらないのでヤメた。そんな経験はしたことがないので妄想したうえでの想像だ。

 ホテルで横になって休んだ後、少しは戻った痛みも長くは続かず。その後ヘルメットの後ろと腰をタイヤチューブで繋ぎ、顔が上へ引っ張られるようにした。2011年のPBP(Paris-Brest-Paris:1200km走るブルベ)で当時のAJ会長の首に使った方法である。
首の固定法としてはワリと定番

 これは下りや登りでのポジションの変化に合わせて多少頭を上下させることができる利点があったが、動かせるという状態=痛みが強くでる、で、U字枕を首に巻いて完全固定する方法に切り替えた。
もう少し強力な固定法無いかな

お、こっちの方が痛み無くていいんじゃない?

それになんか近未来的でめちゃくちゃカッコイイじゃん!ラフォージ中尉

 ※ピンクのジャージなど、私の衣装センスに関しては疑問視する声も少なくは無い。

 前回のBlogでも書いたように、シャーマーズネックになった際の対策を考えてはいた。
 が、これまで数千kmのサイクリングをしても首に不安も感じることが無かった自分には無縁のものだと、その可能性は低いと思っていた。

 恐らく今回発生した理由は
・カンザスでの強い横風でハンドルを腕で固定することが多く、肩から首の筋肉が疲労した
・路面が悪い箇所の存在、特に路側帯には脱輪防止の為か大きな凹凸がつけられている箇所が多く、夜中にこの凹凸で何度かダメージを受けた
・横になって寝る時間が極端に少ないため回復が間に合っていない

 こんな所ではないだろうか。

 特に3番目、例えば走行時間が1日18時間から20時間に増えるのは「なんだ2時間、1割ほど増えるだけか」と考える人がいるだろうがそう簡単なものではない。
 走行時間が2時間増えるのは、休憩時間が2時間減る、この場合「6時間から4時間に33%減る」ことになる。信号待ちやトイレ休憩などの避けられない立位での停車時間を2時間とすると、横になっての休憩は「(6-2=)4時間から(4-2=)2時間と半分」にまで減る。これで回復が追い付かなかったのかな、なんて考えている。

 首が動かない、といっても個々の症状は意外と異なっていて一概に言えないが、私の場合は
・肩コリのような物凄い重さが肩から首にかけて発生
・痛みが発生
・頭の保持が困難になる

 と、肩との関連が高かった。最終的には痛みも感じなくなる人が多いようだが、最後まで痛みを感じていた。
 予防に関してはRAAMを4回完走している櫻井さんと話したところ、彼も私と同様「首の速筋を鍛えるのはシャーマーズネックの防止には役立たないのではないか?」と考えているようだ。(あくまで2人の経験からの想像であり良くわかっていない)

 さてこのシャーマーズネック、想定してたよりずっと問題だったのはポジションによる走行速度の低下だ。
上体が起きたポジションでしか走れない

 上を向いた状態で固定すると強い痛みが発生する私の状況では、このポジションで走るのが限界だった。
登りはまだいいが下りがツラい

 しばらくこのU字エア枕固定で走るも、首回りの暑さと、給水のしづらさが耐えられなくなってきた。
 ボトルをダウンチューブのケージから取り出して頭の向きを変えるのは困難なため、既にハンドル横に括ったツール缶に飲み口が長いソフトフラスクを入れ、これで給水するよう変更している。しかし首が固定されてしまうとこの方法でもかなり苦しい。
 後方確認もツラいが、こちらは後ろをガードしてくれているフォローカーからの無線がもうひとつの目となる。

 固定角度を何度か変更し試すもうまくいかず、若干向きを変えるのが可能なチューブで吊る方法に戻した。
 プリングルスの筒をステム上に固定して顎を支える法は私のポジション(顎の位置そこまで前に出すと低くなるし、上下に動かしたいし)の関係で断念。
あと汗で首回りがつらい

ラテックスじゃなくもう少し伸びない、紐でも良かったかもしれない


 ここミズーリ州、道路の脇では小型動物の死骸が多くみられ、近づくと臭う。これまでもよく見られたコヨーテに加わり、このあたりからはアルマジロの死骸が増えだした。ヤツらの姿は頭の中にあるイメージよりずっと大きくて、踏んづけたら吹っ飛びそう。

 なぜこんなに死骸があるのかの謎は夜になって判明。暗闇の中、カメのようにゆっくりとした足取りで幹線道路を横断しようとしてるのだ。「速く走しれもしないのに横断しようなんて無茶しやがって」なんて悪態をついたら自分の事のように思えてきて可愛くなった。
 2回目に車の前に飛び出して?きたときは停車して拉致しようなんてクルーから声があがるもスルーして先へ。一緒に写真でも撮っておけばよかったかな。

 とにかくこの多数のアルマジロ死骸を見て思い出したのが、スペシャライズドの耐パンク性能が高いタイヤシリーズ、「アルマジロ」。今回予想以上のパンク回数に途中で追加購入したタイヤもこれ。いや車に撥ねられまくったらダメなんじゃないの?!

縦断ニュースDay8:真っ直ぐ走れてないね…良くない

2021/06/15

2018RAAM_20:ルーキーオブザイヤー

 TS30の人たちは大きなモニタで選手の動きを追っている。なのでどの選手がどういった走りなのかはかなり掴めており、私は停車時間が多い「ウサギとカメのウサギだ」と言われた。
 ウサギというほど速くはないが、確かに停車時間は多い。その割に睡眠時間はとれていない。普段から共に活動し連携がとれたチームとは異なり、我々は経験が無い者ばかりだ。それにブルベ等のロングライド主体で組まれたメンバーには、1分1秒でもタイムを削るというレース的な共通意識は湧きにくい。
 ※これ、クルーだけの事を言ってるんじゃなくて私自身もね。無駄な停車時間が多く、どこかヌルい所が多かった。

 それは必ずしも欠点じゃなくて、私はそこまでレースレースしてない、例えばマヤさんが「砂漠の熱で目玉焼き作る」なんて言い出しても笑っていられるような、そんなチームで完走したかった。(クルーの都合でレーサー止めないで!って小言は言ってたけど)

 スタートから丸6日が過ぎ、この夜はこれまでの削ろうと思えば削れる無駄な時間ではなく、眠気による30分ほどの仮眠といった停止が増えてきた。
クルーもお疲れ

 序盤の最下位から少しずつ順位が上がり1桁になってくると、俄然他の選手の動きが気になってくる。そんな中飛び込んできたのが現在2位を走る選手のリタイア。

 RAAMは総合優勝だけでなくいくつかの賞がある。KOM(キングオブマウンテン)やKOP(キングオブプレーリー:平地最速)、それから気になっていたのはRookie of the Year、初参加の中での最速ゴールに与えられる賞だ。
 最も有力な総合優勝候補は過去4回優勝しているストラッサー選手。今回も600km/dayを超えるペースで私より遥かに先におり、次元が違う、というかたぶんマシン。
 リタイアの情報が流れた2位の選手は初参加であり、私は新人賞からほど遠いなと思っていた。が、彼が抜けた今、残りの新人は7位~11位、100km以内に5人が固まっているという混戦で新人賞争いが面白い状況に。
上位3人以降はかなり団子状態

 相手がリタイアしたから賞が、ってのはかなりカッコ悪くて価値なんて無いし、リタイアの原因も事故のようでとても喜ぶ状況じゃないけれど(命に別状はなさそう)、狙えるものは狙ってみよう。
 このRAAM、参加には時間も予算もかかるし、一生に一度のチャレンジと考えての参加だった。しかしこうして走っているうちに、もっとチーム間の決め事をつくって、1分1秒を削るような努力をクルーにもしてもらって、限界までタイムを目指した、そんなRAAMをもう一度走ってみたいと思うようになってしまった。
 しかし仮にそんなチャンスがあったとしても、新人賞が狙えるのは今回だけだ。それに実績も何もない私が、もう一度RAAMに参加するにはここでそのくらいの走りができなくてはダメだと思った。

 新人の中の一人、JAVIER IRIBERRIさんは長時間休憩を挟んで走ってるためこの位置にいるだけで、走行時の速度は私より速そうとのこと。停車時間は多くてもまとまった睡眠をとれていない私が、しっかり寝ていて速度も上な人に勝つ望みは薄そうだが、やれるだけやってみよう。クルーの作業も更に過酷になるかもしれない、皆よろしく。
朝が来てカップ麺を食べながらクルーとそんな話をした

そして仮眠、シューズを脱ぐのも面倒でこのスタイルが増える

 ※ちなみに2019年のThe Japanese Odysseyで暫く一緒に走った日本在住のMikel氏はこのJavier氏の知り合いで、ウチら家の裏がピレネーだよと言っていた。羨ましい。
道幅が広くなってきた

 舞台はカンザスからミズーリへ。ロッキー山脈を抜けしばらく続いた平地はおわり(ただし強い横風に悩まされたが…)、ここからはまたアップダウンが始まる。
 ここで最初に貼った区間ごとの斜度グラフをもう一度。横軸は距離、縦軸は各TS区間の平均登り斜度(獲得標高/距離)を表す。
本当に大変なのは終盤だけどね

 次のチェックポイント、Camdentonまでは2%、100kmで2000m程度のアップダウンだ。大きな峠は無いが結構登る、道路は幹線でデカい。それがどういうことがというと…
これが延々と続く

 萎える…。私が好きな登りってのは山で、こういうアップダウンじゃないんだなあって実感しながら走る。
 それに肩から首にかけての重さはいよいよ深刻になってきて、下ハンどころかブラケットの深い位置も持てない。完全に起きたポジションで下りもキツいのだ。

 TS32、Camdenton手前で3号車がホテル泊しており、なんとかそこまで頑張ろうとクルーに励まされ、ガチガチになった首でホテルにたどりつく。なんと部屋が4部屋とられている。RAAMの参加者だと説明したら、ホテルのオーナーが予約していた2部屋から4部屋に無料で増やしてくれたとのこと。
 蓑田さんから冨永さんに引き継がれた「あおば式マッサージ」をうけ、ベッドに1人でグッスリと眠った。グッスリといっても2時間半。かなり厳しくなってきたがこの時はまだ新人賞のことが頭を過っていた。
ホテル前でくつろぐクルー

 この時点で首が動かなくなってはもうどうやっても完走は厳しかっただろう。それでも後から振り返ってみて、ここの休憩はもっと長くとるべきだったように思う。後日FBを見たら、前半クルーで離脱した蓑田さんが「そろそろ長い休憩をとってみては?」って書いてたな。