2017/07/21

2016RAWその19:1/3の横断の感想

  チームでの熱い抱擁が待ち構えていると思ったけど全然そんなことは無く、「早くメシ行くよ」とホテル&レストランに急かされるだけのゴールでした。
クルーも疲れて不満も溜まってたのだろうなー(あーなんでコイツこんなにゴール遅いんだって)。


レストランにていろいろダメ出しされる

  自分でももっとこうすれば良かったというのは多々あるけど、とりあえず最低限のRAAMクオリファイを得れたことには満足しています。
  他の多くのRAWやRAAMチームを見たクルーからは「クルーチーフが全てをコントロールしてレーサーは走るだけの駒にならないとダメだ」という意見が出ましたが私はそうは思いません。
  まず私が普段国内で自分のチームを持っているようなレーサーとして活躍している人ではないこと、クルーは友人に手弁当で頼んでいることから、私が出来ることは自分でやり、こちらから指示するワンマンのチームにならざるを得ないと思うのです。報酬を払って作業して貰えない以上、クルーの役割はその人の善意にかかっています。メカニックやってとこちらからお願いするのは難しいですから……。お金や人望があれば、採れる最適なチームは変わってくるでしょうね。

  ま、妻には自転車の採寸やらネジのトルクやらを書いた紙を渡し、多少の整備は出来るようになってもらおうと考えています。この辺りの話は次のRAAMの時に。

  飯食って飲んだ後は、荷物のパッケージング。上記自分が主体なチームな以上、自転車の片付けは私にしかできないわけで、フラフラと寝落ちしながら朝までかけて自転車その他をまとめました。


デュランゴの空港小さっ

  ひであさんと妻と私はここからロサンゼルス->羽田へ。加藤さん三和さんは、なんとロサンゼルスまで男2人旅でレンタカーを運転して返しに行ってくれます。こちらでレンタカー返却だと大手でしか借りることはできないし、費用も嵩むしで、大変助かりました。


成田空港ではけいたさんと川合夫妻がお出迎え

  3人ともありがとう。けいたさんに送ってもらって自宅まで。これでRAWは終了です。




■RAWの結果


  2016年 Race Across the West
男性ソロ50歳以下のカテゴリー参加者は15名、完走はそのうち9名。完走タイム3日7時間49分は6位でした。
  日本人としてはこれまでで初の完走となります。初も何もこれまで参加者がいなかっただけですが、「日本人初完走」と無理やり売り込んでいきたいと思います。

  前年の完走率3割に比べて完走者が多かったのは、気温が5℃以上低かったこと、それから私を含め完走者のうち4人が去年のリタイア者で今年リベンジに来ていたこと、が理由でしょうか。前年の4人のリタイヤ者は今年全員完走しています。ミーティングで代表が言っていたように、走れば走るほど、レーサーもクルーも質が高くなって完走に近づいていくというのがよくわかります。

  ホスピタル・バディのAndrewは持病の痛風で途中1日の大休憩をした後、痛みで腫れた足で履けない靴を切り開いて、後半すごい勢いで追い上げゴールしてました。




■遅かった言い訳


  1500km完走にかかった時間が3日と8時間弱。サポートカー付きにしては遅くない?と感じる方が多いのではないでしょうか。私もそう思います。
  前年リタイアして今回準備万端で挑んだはずのこのレースですが、まだまだ認識に大きなズレがありました。

・サポートカー付き=速く走れるわけでは無い
  眠くなったら車内で寝れる、補給はタイムロス無しで受け取れる、セルフサポートのブルベと比べたらホテルと共に走るようなものだ、走る前は私もそう考えていました。
  サポートカーは、あの暑い砂漠の中を生きて通過するための必須装備です。同じ起伏、信号量のコースが日本にあった場合、そちらを一人で走ったほうが速く走れます。

  補給にしても、ウォルマートの駐車場に車を止めてデカい店内で物色して物を買って、なんてやってると補給で20分くらい経っちゃうんですよね。昼の間は車から先行できるとはいえ、補給やトラブルを考えると自転車のみ先に行くというのは難しく、クルーのトイレも待つことになります。もちろんこの間を仮眠に充てるなど上手く時間を遣えばロスにはならないのですが、なかなか上手くいきません。サポートカー1台の場合、サポートでのロスがどうしても発生します。

・灼熱での体力消耗
  完全に見誤っていたのはこれ。ストーブ焚いてローラーなど暑さに慣れる無駄な練習はしてみたものの、その中を長時間走り続けた時の消耗は予想を遥かに超えていました。私は眠気には滅法弱く、ブルベでも1日3時間くらいは寝ないと走り続けることはできません。それでもこういった大舞台なら集中力で少しはカバーできると思っていたのが、普段の数倍は眠らなくては走り続けられませんでした。
  上位陣はこのコンディションの中を殆ど寝ずに完走するわけです。自分との余りの違いに愕然とします。




■RAAMって何なのか?


  前回のリタイア、今回の完走。全コースの1/3も走ってはいませんが、それでも少しだけ、RAAMってのがどんなものなのか肌で感じることができたと思います。

  TransAMの女性記録保持者、RAAM参加者のジュリアナさんは1400km、我々RAWのゴール手前でリタイアし「RAAMはクソだ」とコメントしていました(意訳では無く本当にshitと言っている)。
  「私がやってきたセルフサポートレースと比べたらサポートカーがつくレースなんて5つ☆のホテルだわよ」そう言っていた彼女はリタイア後「RAAM参加者は誰も楽しそうな顔をしていない。皆苦痛に顔を歪めて車通りの多い危険な道を走っている、こんなのはクソだ。」と言い始めました。体調を崩してドクターストップでのリタイアで悔しかったのかもしれません。でも「えっ?今更何を言っているんだ?」です。
  それがRAAMじゃないの?サポートして貰えるおかげで、苦痛に顔を歪めながら走ることに専念できるんです。そうして辿り着いたゴールに、個々の想い、価値があるんです。
  ファストライドでは世界的な強者と一緒のレースを走ることが出来て、こんなアホみたいなコースを休まず走る彼らへの畏敬の念はますます深まりました。でも彼女のコメントからは、RAAM参加者へのリスペクトが全く感じられなくて、ちょっと残念に思いました。


  公式サイトで、RAAMはエベレスト登山と比べられていたことがありました。流石に費用や死亡率などを考えるに、エベレスト登山と比べるほどな難度でもないよなーと考えていましたが、最近登山と比べるのはなんだかしっくりくる気がしています。

  まず皆が知っているように、私はその辺のホビーレーサーほどの速さもありません。長距離にしたって、寝ないで走り続けられるような人と比べたら圧倒的に遅いです。でも参加したいと考えて、練習して、そこそこの金額をかけれは、そんな人でもRAAMに出られるんです。RAAM記録保持者、24時間レコード保持者のストラッサーはロードレーサーとは別ジャンルで世界レベルの凄い人です。そんな人と一緒のレースを走れるんですよ!

  山が好きで、どうしようもなくハマってしまって、まだ見ぬ景色と自分への挑戦のために世界の名峰に挑む。エベレストとまではいかなくても、私にとってのRAAMはそんな感じのものです。




■2018年に向けて


  今回だけでなく前回のクルー、金銭的に援助してくれた方や、応援してくれた方。
  皆さんのお蔭で、ただの長距離サンクリング好きなオッサンが、アメリカ横断レースという大それた夢の出場権を得、またその世界を少しだけ垣間見ることができました。
  こんな幸せな事は無いと思っています。バブルスライムのような人生送っていても、心ははぐれメタルくらい幸せです。

  今回のゴールで2年のRAAM参加権が得られたわけで、今年2017年は見送ってしまいましたが2018年はいよいよアメリカ横断に挑戦します。
  「何故RAAMなのか?」という答えは自分にもよくわかっていません。世界には多数の長距離レースがあり、セルフサポートならば皆に協力して頂かなくても、もっと安いコストで参加することができます。何故RAAMなのか?2006年に知人のランドヌール達と観たRAAMのDVD、あの映像が衝撃的で、こんな世界があるんだと憧れてしまった私にとって、やはりこれが目指すところなんだと思います。

  日記を読んで「クルーとして参加するのも面白そうだな」と感じた奇特な方、是非協力お願いします。一緒にヘンな世界を見てみませんか?
https://www.facebook.com/groups/1470448736571892/

  報酬などを用意することはできません。それでもやってみたいとクルーとして協力してくれた方、もしその後レーサーとして参加する場合は喜んでクルーをやらせて頂きます。正直言って私、レーサーよりクルーのほうが向いてると思うんだよね……。

2017/07/13

2016RAWその18:ゴール

  TSを出発して川沿いの道を登る。左折ポイントを見過ごして直進するところだった、危ない。
  RAW/RAAMでは参加者の安全のためコースの逆走は禁止されている。もしミスコースしたら車に乗ってルートに戻らなくてはならないが、サポートカーと連絡が取れなかったら詰む(まあその場合はペナルティ覚悟で自走で戻ることになるのだろうが)。

  ここまで曲がり角なんて殆ど無い道をずっと走ってきたから、こういう道なりから外れて細い道への左折は見落としやすいよな、なんて走っていたら、嫌な考えが頭を過ぎった。
  暫く走れどなかなか来ないサポートカー。あちい、これは確実にミスコースしてるだろ、止まって休みながら進む。数十分が経過後にサポートカーは現れ、「ゴメンゴメン、道間違えちゃった」ってやっぱりね…
  「私も間違えそうになったし、なんかそんな予感してたからいいよ」と煮えくり返りそうな腸を抑えて喋る、いや別に怒ってはいなかったっけ、ただ疲れ切っていただけ。

  この区間、「野生の馬に注意」と本部からのショートメッセージが来ていた。野生の馬?なにそれ?


ホントにいたー

  この後の区間は「野生のシカに注意」だとか「野生のエルクに注意」だとかメッセージが流れていた。我々が走るのはここまで、エルク見たいなー。


コロラド州突入

  これまでの赤土やゴロゴロとした岩は一気に無くなり、周りには木々が。


木があるだけで幸せ、暑いけど


砂利道が数kmにわたって続く

  バイクコントロールは下手だし、疲れているし、砂利道走行は神経を使う。日中の暑さはピークに達し、車内で45分ほど休憩。
  この辺りで会った別チームのクルーは「レーサーが遅いから飛行機の時間が間に合わねえ」文句言ってた、なんて話をクル-から聞いた。まだ制限時間には余裕があるはず、恐らくそのチームのレーサーももっと速く走れるつもりだったのだろう。多分どこも似たようなものだな、と苦笑い。

  ダートが終わるとすぐに、最後のチェックポイントCortezの街並み。結構大きい都市で、道路脇には歩道が整備されていた。要するにサポートカーが停止していい場所が無い。TSまで補給できず。


■TS13: Cortez(1423km)

  スタートから75時間52分経過。残りはあと70km。ウォルマート駐車場で1時間ほど休憩。
  ここのウォルマート、かなり大きいのにベライゾンの電波が入らない。電話が繋がらないと本部への通過連絡ができないわけで、加藤さんのdocomo電話をローミングして連絡、ここまではベライゾン1強状態だったが、やはり複数回線あったほうが良さげだ。

  心配していたこの日の宿は、ウォルマートを出発して電波が入るようになって直ぐに予約できたようだ。


市街地を抜けると最後のヒルクライム

  市街地走行は苦手で三和さんからよく注意を受けた。第一車線が右折レーン(右側通行ね)だったり、左折したい場合はもっと早くから内側の車線に入れと、右車線を走っていたら危ないと。
  右側通行にはすぐ慣れるのに、こういうクセはなかなか抜けない。日本も自転車は第一車線なんてルール無くなればいいんだけど、まあこれはちょっと無理げな話か。

  ここコロラドに入り、ようやく私の知っている木々に囲まれた山に出会えた。最後のヒルクライムは思いっきり走った。


標高2560m、RAWの最高地点

  写真を撮ってちょっと走ったところで、もう一枚皆で撮ろうということに。


下りに備えて長袖ジャージを着る

  ほんの数時間前までは30℃後半の中を走っていた、現在の気温は9℃、その差は30℃。


多分スタートしてから始めて笑った


三和さんは撮影係

  夕焼けに赤く染まる空。しかしゴールのデュランゴに向けては青いグラデーションがかかっている。なんとも不思議な色合いだった。結局スタートしてからずっと、空に雲を見ることは無かった。変わりゆく色の変化を眺めていた3日間だった。

  最後の下りは慎重に走り、ゴール手前で暗くなってきた尾灯の電池を交換し、途中のTSで貰った日本国旗を手にしてゴールした。


4:34にゴールシーンが一瞬。再生ボタン押すとそこから再生します。


■Durango(1494.1km)

  ゴール。完走タイムは79時間49分。ルール違反のペナルティ無し、男性ソロ50歳以下は15人出走で9人完走、うち6位。
  長かった。RAAMクオリファイ獲得の制限時間まではまだ8時間半あるが、少しのミスでどうなっていたかわからないギリギリのゴールだった。


使用後

  ……黒い。

2017/07/11

2016RAWその17:メキシカンハットでの復活と、唇痛い


モニュメントバレーを後に

  ここからの下り坂は絶景ポイントで、映画などでも良く撮影に使われているとのこと。


我々止まっていないので車の窓から

  ここまではまだ頭も少しボーっとしており、脚も止まって少しフラフラしていた。しかしこの下りを終わったあたりから、メンタルだけでなく体も少し動くようになる。脚が回る、やった、これでもう大丈夫だ。


■TS12:Mexican Hat(1278.5km)

  スタートから67時間11分経過。残りは200kmちょっと。日本から応援してくれている皆も、ここに来て完走は見えてきたか「あと1ブルベ」とのFacebookに書き込み。


ガソリンスタンドには25分滞在

  モニュメントバレーで三和さんと運転を変わって仮眠していた加藤さんにドライバーチェンジした。
  加藤さん、「脚回ってるよ」とビックリ。モニュメントバレーでの「大丈夫かコイツ」の汚名を返上できたかしら。


左上のヘンな形の岩がメキシカン・ハット

  補給を受ける為に減速しているところを後ろからRAAM選手に抜かれる。しかしRAWの選手は前後ともかなり離れており、もうこの先順位変動はなさそうだ。あとはこのまま、安全にゴールするだけ。


この辺りは赤土というより岩盤という感じ


緩やかな登りが続く


モンゴリアン・ハット?

  ※注:そんな名前はついていません。


もうずっとこんな道

  周りが砂か赤土か、そんな程度の差なんだけれど、「少し岩が大きくなってきたかな?」とか、そういった微妙な変化が楽しい。


はい補給~補給~


紫外線で唇が腫れて大変なことに


痛い、リップ塗る


こんな所にもスタッフカーがいた


■TS13: Montezuma Creek(1342.2km)

  スタートから70時間41分経過、あと2時間程で完走パーティーが始まる。残りは150km、到着は絶望的。ゴールへの到着は日が暮れてからになりそうだ。妻に予約しているホテルのチェックイン時刻を確認して、と頼むと、「予約してた日が一日ずれてた」ってえー?今日泊まるとこあるの?
  標高は1300mを超えているが日差しは強く暑い。ガソリンスタンドで40分ほど仮眠し、冷却ベストをつけて出発する。

2017/07/10

2016RAWその16:モニュメントバレーの夜明け

  3回目の夜間走行、この区間はホントボロボロだった。

  斜度1%の緩やかな登り、眠気というよりは疲労で、少し漕いでは脚を止めるという疲れ切った時の漕ぎ方で前に進む。
  後日確認してみても平均速度は25km/hを上回っており、そこまで遅いとは本人は思っていないのだけれど(まあ遅いが)、時折脚を止めて滑走している間が20km/h以下に落ち込むため、車内のクルーは「どうしようもなく遅せぇ」と判断していたようだ。

  極めつけはトランシーバーの電池切れによる私の無応答。「これは寝ている」と判断され何度か停止を指示された。いや、実際かなり眠くてフラフラとしていたのだと思う、15分の休憩、少し走って30分の休憩、それでも体は全く回復しない。
  ゴール後の完走パーティーに参加しようとしたらもう長時間休憩する余裕はない。だからなんとかして走りたかったのだけれど、クルーからは危ないから停止の声。一つ前のTS、Tuba CityではRAAMクオリファイタイムに対して13時間の貯金があった、ここは安全に行くべきかもしれない。

  2時間半程寝て、その間に外はすっかり寒くなっていて、「もう行けるよ」と長袖ジャージを着込んで出発。
  アリゾナに入ってからずっと、寝て起きても回復した感じがしない。幾ら睡眠に弱いとはいえ、普段ブルベならこれだけ寝れば頭はスカっとするのに、常にベールを被っているようで、体全体も重いというかダルさが続く。

  車から出ると左前方に強い光。走れど走れどその光は一向に近づかなくて、最初は列車か何かが道と並行に走っていると思った。
  これ幻覚じゃないよね?さっきから何故か前に進まないんだけど、とクルーに連絡すると、その光は確かにあると言う。一直線の、何も変わらない道の先に光る謎の物体、何故あれに近づけないのだろう?

  30分ほど走り続けた時点でその正体が明らかになる。とても巨大な建造物、たぶん何かの採掘場だろう、豪華客船のような物体の上部に地上から線路や道路が続いていた。ひたすら続く遮蔽物のない道にこんなものがポツンとあって、ホント、スケール感がおかしくなる。


■TS11:Kayenta(1206.8km)

  交差点にあるGSがチェックポイント、長かったルート160が終わる。スタートから62時間58分、区間グロス速度は12.6km/h。トラブルを考えるとあまり時間に余裕はない。
  併設の店でカップ麺を買ってお湯を入れた。持ってきたアルファ米を突っ込んで食べる、醤油味が冷えた体に染みわたる。店内では警察官に「なんだ?レースやってるのか?どこから来たんだ?」と聞かれ「日本から」と答えると「スタート地点はどこなんだ?」
  「オーシャンサイド」「何だって?」「オーシャンサイド、カリフォルニア」「クール!」警察官は信じられないと言ったように肩をすぼめて去っていった。レースの連絡を受けて見回りに来たのかと思ったけど、全警察官に連絡行ってるわけじゃないのかな。


待望の夜明け


朝焼けに染まる岩山

  この先はモニュメントバレー、どうやら最高のタイミングでこの場所に来れたようだ。
  初日の夜、わずか500kmで調子を崩して失速していた体は、ここにきて急激に回復している感覚がでてきた。美しい朝焼けで元気が出たのか、完走できると確信したから元気がでたのか、とにかくもう今までの苦しみは無い。走る楽しみも戻ってきた。


上体の起きていたポジションも少しマシに戻っている

  テーブル状台地メサより更に浸食が進み、孤立した岩山となったビュート。ここモニュメントバレーにはそんなビュートがまるで記念碑のように立ち並ぶ。


空に浮かぶシルエット

  最初の朝日を見た時に「ドラッケンのようだ」と(多分普通の人には)よくわからない表現をした。真っ直ぐ続く地平線から天頂まで、単純にグラデーションをかけただけの空。
  日本でもロングライドを楽しみ、夕焼けや朝焼けの美しさに目を奪われたことは何度もある。でもその美しさは、赤く染まった雲や、それを反射する水田が核であって、こんな単純な色の変化を綺麗だと感じたことは無かった。

  ここモニュメントバレーでは、そんなシンプルな背景にビュートやメサのアクセントが加わる。
  徐々に色を変えていく空、赤みを増す台地、アクションカムを外してしまったことを最も後悔したのがこの地点だ。せめて写真を、写真を撮りたい。止まって写真を撮ろう!

  無線でクルーに伝える。クルーからは「なに言ってるんだコイツ」感。既に自分の中では復調の兆しが見え始めていたとはいえ、精神と肉体の回復には時間差があるようで、まだヘロヘロとした速度でしか走れていない私は「くだらんこと言ってる余裕あったらペダル回せ」と思われていた。

  いやでも、写真撮りたい、写真撮りたいよう。そうだ、日も昇ってきて暖かくなってきた。長袖ジャージを脱ぐということにして一旦止まろう。


しょーがねーなと皆


ゴールできなかったらこれが記念写真になると脅される


パノラマ(写真はクリックで拡大)


朝焼けの大地を進む


あー気持ちいい


こんなのや


こんなのがボコボコそびえ立つ

  コースはモニュメントバレーの外側を半周する。ナバホ族が管理する中央部は有料で、ホテルなどがあるそうだ。


草原の向こうが中心


ユタ州に突入

  カリフォルニア、アリゾナと来てユタ州へ。やっぱり何も無い。すばらしい。

2016RAWその15:危険なナバホ・ネイション

  このルート89、他に道がないものだから大型の通行が多い。


路肩は狭く、外れると砂地


トラックはかなりの速度

  大型トラックは日本じゃ見ないようなサイズだし、これ夜中だったら滅茶苦茶怖いな、と思う。やはりサポートあってのこのコース。補給だけでなく、車から守ってもらうためにもサポートカーは必須だ。


サポートカーから

  さて、この先はいよいよ「ナバホ・ネイション」に入る。この区間はナバホ族の準自治領であり、州警察ではなく領内のシェリフが治安を治めている。
  「ナバホ自治区は危ないから昼でも自転車の後ろにサポートカーがつくダイレクトサポートをしなくてはならない」ミーティングで散々言われたが、何が危ないのかはちょっと良く分からなかった。帰国して調べたところによると

・この自治区内では飲酒が禁止されている。その為外で飲んで車で帰ってくる、飲酒運転が多い
・州警察ではなく保安官が管理しており、人数が少ないせいか?取り締まりはあまり強く行われない

  あたり理由っぽい。前者の飲酒禁止だから飲酒運転が多いって何の冗談だよ、って感じだが、まあ危ないと言われているので気を引き締めなくては。


地図上はすでにナバホ・ネイションのようだ

  南北に走るルート89を右折し、ルート160に入った時点でダイレクトサポートとなる。


何も無い交差点で自転車を待つクルー


来た来た


前にいるのはスタッフカー

  なんとこの何もない交差点にはスタッフカーが止まっており、やってくる参加者に「ここからはダイレクトサポートするように」と呼びかけている。こんな何もない所で…本当にお疲れ様です。


次の街まで行けばマックはあるようだ



赤土の台地

  この辺りからは地層の硬さの関係で(上のほうに硬い層がある)、急激に切り立ったテーブル状の台地が見られ出す。メサ、と呼ばれるらしい。


Bluetoothスピーカー

  三和さん私物のBluetoothスピーカーをボンネットに貼りつけた(確かこの区間は夜間のスピーカー使用禁止だったっけな?)。が、このサイズだと自転車からはあまり聞こえず、他のチームで使っているような大型のスピーカーを用意したかったなあと感じた。RAWの距離だと必要ないと思ってたのよね、ま、無しと比べたら天地の差で非常に有り難かったけど。


ルート160、ダイレクトサポート開始


緩やかなアップダウン

  アップダウンというよりは向かい風がキツい。それにやはり、高温の区間を走ると体力が消耗して速度がグッと落ちていくのが自分でもわかる。


  動画では加藤さんが「一応…下ってはいる…」とボソっと言っているのは、多分私の脚が完全に止まっていて「遅せえなコイつ、これで本当に間に合うのか?」という心配なのだろう。


地層の境界がクッキリと見える


白線の外側に凹凸

  日本によくある凹凸つきの白線ではなく、白線の外側に凹凸がつけられている箇所がある(全域ではない)。これ、白線凹凸よりデコボコしててツラい。基本車道を走っているのだが、抜かれる時に少し避けようとすると振動でかなりの衝撃を受ける。これは日が暮れてから苦労した。


3回目の夕日


■TS10:Tuba City(1091km)

  日が沈む中、次のTS、Tuba Cityに到着。スタートからは53時間48分経過、区間のグロス速度は20.5km/hと、完走パーティーに間に合うギリギリの速度。


車内で仮眠

  クルーの皆が買い出しを行いデニーズで食事をする間、私は車内で仮眠。1.5時間程休んで出発。


3回目の夜間走行