具体的には突発的な眠気。これまでは「2,3時間後くらいに仮眠したいから2号車(中で横になれる)回しといて」って指示する余裕があったのに、この辺りからは元気だった30分後にはもう眠気で動けなくなる、なんてことが増えだす。2号車クルーの作業も大変になり、後日反省会では「1号車に寝床を作るべきだった」という話が出た。
超ブラックなクルーの労働環境
TS33、Jefferson Cityを超えミズーリ川沿いの細い道に入ると立ち止まって数回休むことが多くなり、その後車内で1時間ほど仮眠。
クルーに「眠気を覚ますためになにか話しかけて」と頼む。無茶ぶりされた荒堀さんはトランシーバーを常に通話状態にし、自分が初めてアメリカに来てハンバーガーを食べた時とか、なんかそんなような話を他のクルーと始めてくれた。
他の人の声は全然聞こえず、荒堀さんの声もか細くわずかに聞こえるだけ。何を言っているのかはあまり聞き取れない。5分おきくらいに「頑張れー」と声をかけてくれるだけで良かったんだが、クルーの心遣いは嬉しかったし、そのまま良くわからない会話を…聞いて…喉が渇いてきたからドリンクが欲しいんだけど、「ドリンクー、ドリンクー」
あれ?クルーに伝わらない?使っているのはトランシーバーで、普通の電話のように双方向が同時に話すことができない。クルー側の通話ボタンが押されっぱなしな為、こちらからの声は届かないようだ。
減速して手でサポートカーを呼び、「ドリンクだってばくぁwせdrftgyふじこlp」と叫ぶ。そんなことが2,3回続いた後「やっぱ会話無くていい」伝えた。車内では「何か話せと言ったから何か話したのに話すな言われたなんだアイツ」と大顰蹙だったことを後日知る。
眠気から少し回復して走り出すとポツポツと雨。クルーからは、この先恐ろしいものが待ち構えていると連絡。
確かにこれはヤバい
雨の間は休憩なんてやってて完走できるほどの脚はないが、この雨の中走るのはダメージが大きすぎるようにも感じる。
スポット的な豪雨であり、しばらく待てば雨雲は通過するだろうと、本降りになった時点で1,2号車とも路肩に止め、激しい雨音を聞きながら皆で寝た。暖房を効かせた車内は心地よく、狭い中で皆死んだように眠ったのを覚えている。一瞬で3時間が経過した。
アメリカを走っていて予定外だったのは携帯電話の電波。序盤の砂漠は仕方ないにしても、それ以降はそこそこ繋がる想定だったのだが、まあ繋がらない。
飽きてきたから応援メッセージ読んでよ、とクルーに言っても「電波が入らないから無理~」が続く。
それにクルー引継ぎのときに「応援メッセージの引継ぎ」なんて行われないわけで、「質問がある方はレーサーに聞くのでなんか書いて~」->暫く電波不毛地帯が続く->他のクルーになり質問は無視、なんて放置プレイが続いてしまった。折角質問書いてくれた人たちゴメン。
電波が入らないとネットワーク頼みの音楽の選曲もできなくて、車の前につけたスピーカーから流れてくるのは元から妻のスマホに入っていた徳永英明とミスチルのみ。
いや徳永好きだけど、眠気覚ましにかける曲としては180度ズレてない?シーソーゲームなんてもう何十回と流れていて、業の深さしか感じられない。
そんな中、後ろから聞こえてくるカチカチという音。しばらくなんか鳴ってるな~なんて思ってたら、ガソリンスタンドでクルーが「どうやら車がパンクしているっぽい」タイヤを見ると、確かにデカいネジの頭が。
クルーの皆もパンクの経験なんて無くて、しかもこのアメリカの田舎の深夜でどこで直したらいいのかよくわからん。
夜間はどうしようもなさそうなのと、空気の抜けはわずかで補充していけば朝までは走れそうとのことで、ガソリンスタンドで空気いれてそのまま追走。
ガソリンスタンドの度に空気補充
夜が明けてからガソリンスタンドで修理してくれる場所を聞き、フォロービークルを2号車と交代して修理へ向かう。
RAAMのサポートカーだと言ったら「Facebookに書いてくれればタダにするよ」と、修理費がかからなかったらしい。部屋を増やしてくれたホテルといい、なんだかアメリカはアメリカっぽい。
刺さっていたネジ
サポートカーは右輪を路肩に落として走ることが多く右輪がゴミを拾いやすいようで、この後ミシシッピ川手前でもう一度パンクした。(その時は15ドルで修理)
2回目のパンク修理
3日前、トリニダッドを出た後に壊れたフロアポンプはウォルマートかどこかで買った安物のポンプに置き換えられていたが、新しいポンプも既に取っ手の部分が折れていた。まったく、想像してなかったものが次々とよく壊れる。首も体もボロボロだよ。
8日目の朝
ツラい夜が明けた。最後のチェックポイント、ミシシッピリバーまであと少し。
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