ブルベで速く走るのは好きではない、いややっぱり好きだ。
うーん、なんだかわからない。なんだかわからないけどモヤモヤしている。この感じはなんなんだろう?
ブルベを速く走るモヤモヤって、タイムがどうとか、一番時計だとか、そういう風に見られてしまうからのように思う。
交通ルールを守って安全に走るのであればどう走ろうと自由だ。速く走りたければ走ればいい。でも「トップでゴールした」なんてのは参加者の多くがそんなことに興味が無い以上何の意味もない。
いや、人から見られるだけじゃなくて自分自身そんなものを意識してしまうのがイヤだ。草レースを少しカジって速くないのをイヤと言うほど味わってるからこそ、競わない人と競いたく無かった。
タイムを意識してしまうと妨げるもの -信号や道路工事の一方通行、ゆっくりとした動作のコンビニのオバチャンなど- をストレスに感じてしまう自分も嫌いだった。
速さを競うならレースでやればいい。でも日本にはブルベほどの長距離を走るレースは無い。
その結果、RAAM(Race Across AMerica:アメリカ大陸横断レース)のような海外の長距離レースに行きつくのは自然な流れだったし、資格獲得のためのRAW(Race Across the West:RAAMの前半1400kmを走るレース)を走ってみてシックリくるものを感じた。
話をPBPに戻す。
当初の予定は、来年のRAAM資格獲得の為に今年のRAWを完走。
そして今回のPBPで好タイムを残してRAAMを走れる実力があることをアピールし、スポンサーやクルーを集めるという計画であった。
私には実績が全くない。BRM600kmを24時間以内に走った記録も無い。
もちろん実力が無いので実績が無いわけだが、それでも24時間だったら集中していれば眠くならない時間であるし、速度低下を考えてもグロス25km/hは下回らないと思う。
「思うって、一回もやってねーじゃん。オマエは甘いんだよ」埼玉の泉さんや白木さんにはよく言われた。
多くの人の援助を受けて6/16に参加したRAW。まさかのというか、実力通りの展開というか、わずか270kmでリタイア。熱中症から意識を失い落車。そのまま救急車で病院へ。
病名は熱中症による脱水&横紋筋融解症。体の筋肉が壊死して血管に流れ出してしまう状態だった。幸いにも後遺症は無く2日で意識も戻って退院。が、退院時にはベッドから腹筋で起き上がることができないくらい弱っていた。
帰国3週間後あたりから徐々に自転車に乗り始める。4週間後の血液検査では完全に正常値に戻ったものの、疲れやすくて直ぐに寝落ちしてしまう状態が続いていた。
それに出力が2割くらい低下している。軽くヒネれたはず?のよっしーに坂で着いて行くこともできなかった。
「そんな状態でPBPに出る意味あるの?航空券とか支払っちゃってるけど、世の中には損切りという言葉がある」、と妻。
後1ヶ月あるし、やれるとこまでやるしかない。出発1週間前には出力は1割減くらいにまで戻った。が疲労も溜まっていたため最後の調整に予定していた前週のSR600はDNS。
疲労ですぐ寝てしまうのは相変わらず。どのくらい走れるのか全く見当がつかない。
600km以上のブルベを速く走ったことは無いけど、それ以上の距離経験はそれなりにある。24時間は連続して走れる、3時間程度寝れば翌日も走れる。これから想像するに多分調子が良ければ51時間くらいで走れるのではないか。
目標は48時間。それから、日本人トップ。
ブルベで誰かより速かったかどうかなんてホントはどうでもいい。来年のRAAM挑戦も頓挫し、速く走って実績をという計画も崩れた。
それでもPBPはロングライド派に速さを説明するには絶好の機会だし、「最速」って単純な肩書きが今後の活動に必要であると思う。自分が速くないのがわかっているからこそ、ね。
どうやら前回同様元プロの三船さんも参加するようで、ただのサイクリング好きなアマチュアが挑むのなんて無謀というより、おこがましいか。
結果を考えると気が重い。成功しそうに無いから。3回目の参加となるPBP、こんなに楽しみで無いのは始めてだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿