2016/07/20

2015RAWその12: 帰国、反省やレースの結果

  意識がしっかりした時点で一晩見て問題無かったら退院と決まる、一般病棟に移ってもう一泊。
  予定では6/20デュランゴ発の飛行機で帰宅。妻を除くクルー3人は予定と同じ日に帰国できるようにサンディエゴからの飛行機を取り直して貰った。レンタカーはデュランゴまでの片道では無く、借りたサンディエゴで返すことに。
  皆と一緒に帰れるタイミングで退院できたが、既にサンディエゴからの飛行機は空いておらず2人はロサンゼルス発。サンディエゴまで向かう皆に空港まで送ってもらう。

  元々のデュランゴ発の航空券は格安便のためキャンセルしても払い戻しは無し。新しいチケットは海外旅行保険の救援者費用で本人+3名はカバーできた。ただこれは3人と1人分は救護者扱いにはならない。このあたり契約した保険の規約が良く分かっておらず、現地で(妻が)苦労したかもしれない。
  退院が1日遅れたら砂漠の街ブロウリーから荷物を持っての空港までの移動をなんとかせねばらなず、皆と一緒の車で帰れてラッキーだった。

  サンディエゴに着き、空港のホテルで一泊。クルー3人はそのままロスに移動、日本到着時刻はほぼ同じで成田で合流する。
  退院したとはいえ筋肉が弱っているためかフラフラとして歩けず、空港内は係員に連絡して車椅子を用意して頂いた。車椅子を押すのも職員がやってくれ(場所によっては電動のカートで移動した)満足に歩けない状態でも非常に快適に出国することが出来た。

  成田に着くと嬉しいサプライズ。大失敗した私を友人が出迎えてくれていた。

無事完走した2016年よりも多いぞ

  写真を撮ったけいたさんは写っていない。そのけいたさんに車で自宅まで送って頂き、初めての海外長距離レースチャレンジは終了した。
  ちなみにこの後、「次は絶対砂漠を超える、そのためにはもう一度出ないといけない、鈴木家の財政的に厳しいから稼がないと」と何故かやる気を出して翌日から出社し、数日後に全然体が動かなくなって暫く休むことになる。


○走ったルート



○結局何が問題だったのか
  今回のこの日記、最初から大反省日記のようになっているが改めてダメだった点のまとめ

・知識不足
  熱中症、脱水、低ナトリウム血症に関する知識が全く不足していた。競技としてトライアスロンなどをやる人は確実に意識している部分で、こういった知識も無しにタフなレースに参加しようと思うこと自体が場違いだった。
  コースに対する情報も特に事前にしっかり調査していなかった。砂漠対策にしてもそう。過去の参加者からの情報はいくらでも入手できる世の中なのに、知らなくても大丈夫だろうと怠った。

・準備不足
  知識や情報の無さから砂漠を走り続けるための装備が全く足りていなかった。補給や連絡などクルーとの連携も全くの準備不足。単独で走り続けれるブルベと比較してしまい「大して練習してなくてもサポートカーがついているってだけでラク出来る」と思っていた。実は国内で使える特定小電力トランシーバーは持っていたのだが電波の届く距離が余りに短いのもあって使用せず。借りた車のサイズも小さすぎ、序盤でリタイアしなくともクルー全員が3日過ごすのは厳しかったと思う。

・実力不足
  上で準備不足を挙げたがPBPなどは自転車持っていきなりパっと参加してもどうにでもなるように、もっと走力がある人ならばRAWもこの状態で完走できるのかもしれない。しかし私の力ではこれは全然無理だ、しっかり準備を整えてそれでなんとか完走できるかも、そういうレベルの大会であった。


  立川さんが海外1200kmブルベで知り合った女性の方(RAW完走者)がFBでAndrewの日記にこんなコメントをしている
  「(DNFした)彼らはスタートから全力で飛ばすという典型的な間違いを犯した。登坂と共に急激に変わる気候は砂漠の超絶な暑さに慣れていない人にとって殺人的だ。TS1~3までで起きている毎年のDNFは避けられるものだ。これはクリテリウムじゃないよ、日が落ちるまで気楽に行くべき」

  私の場合序盤を抑えて走ったからといって後半まで高速に走り続けれるわけじゃない。TS1までは気負っていたといえ200W以下には抑えておりそこまで失策では無いと思う。しかしもう少しだけ肩の力を抜いていれば、もう少しだけ進めたかもね。それでも完走はキツかったかな。


○他の参加者たち
・2015年のRAW
  例年と比べて気温が高かったせいか多くが砂漠でやられる結果となった
リザルトへのリンク

  ソロ全体では21人参加中完走者7人、私が参加した男性50歳以下は12人中4人完走。完走率は3割。国内の600kmブルベとはわけが違う、参加にはお金も時間もかかるし、クルーの協力もいる。皆が脚に自信があってのこの結果だからやはり過酷な大会なのだろう。

  日記本文で何度か出てきた薔薇ジャージの美人、Eva Synnestvedt Hansenは女性トップ、3日4時間で完走している。
  序盤争っていたブラジルのジムインストラクターFabio Silvestriは2日20時間、カテゴリ2位でのゴールだった。

  最初の頃先頭を走っていたはずなのにいつの間にかいなくなっていたAndrew WillisはPC1まででミスコース、その後砂漠に突入すると直ぐに熱中症になり、私と同じくPioneer Memorial Hospitalに運ばれた。 Andrewの日記には 救急車で他のレーサーが運ばれてきた、彼は乗車中に意識を失ったらしい。と私のことが書かれている。
  この年リタイアした私と彼、Andy Christensen、Joe Frankの4人は翌年2016年にも参加、全員完走し雪辱を果たした。

・続いてRAAM
  RAAMソロ完走率は21/41。男性50歳以下で16/27。どちらも5割を超えている。序盤はRAWと全く同じコースであり、その後3倍もの距離を走るのに完走率はRAWよりずっと高い。身体スペックが違い過ぎると思っていたが、準備や装備の差もあるのかもしれない。

  記録保持者にしてここ3年の優勝者、Christoph Strasserは半分地点で肺の問題でリタイアした。
  日本語堪能なScott Ragsdale、RAAM5回完走者のMarko Balohをコーチにつけての2回目の挑戦も途中でガケから落ちてダメだったようだ。日記はグロ写真注意

  やはり一筋縄では行かない。それでも皆懲りない。
前述のAndrew日記、帰宅後PCを開きRaceAcrossOregonに申し込んだとある。Ragsdale氏の日記は最後に
"We fall down, but we have to get back up and keep climbing."
と綴られている。


○長距離レースに出てみて
  帰ってきて蓑田さんに「ブルベでは満足できない感じがあったけどどうだったの?」と聞かれた。ああ、RAWはレースだったよ。私がやりたかったヤツだ。スタート地点に立った時の緊張感はツールドおきなわのそれに近かった。
  ブルベはタイムを競うものでは無い。もちろん交通法規に則り安全マージンをとって走る以上速く走るのは自由だし、私もよくそうやってムキになって走る。でも速く走るのが目的で無い人がいる以上、タイムや順位を争うのはナンセンスだと思う。そんな風に考え出してここ数年、頑張って走ったゴール時には所要時間をtweetしてない。コース状況によって全然変わってくるタイムだけが独り歩きしちゃうのイヤだからね。(先頭付近はレース気分なPBPはタイムや順位狙うのも面白いかも)
  人と競いたければ、タイムに意味を持たせたければ、レースに出ればいい。残念ながら日本で自転車の超長距離レースは無い。ウルトラマラソンは趣味や大会として存在するけど、ウルトラマラソンサイクリングは無い。海外ならばそれがある!

  RAWはレースだ。もちろん完走ギリギリ狙いで参加してる人もいるけど「速いことに価値があり、参加者は少しでも速く走ることを目指す」のがレースだ。いくら実力があろうとも結果遅かったら負け。ああ、潔い。○○さんが本気出したらもっと速いんじゃない?とかそんなこと考えなくていい。レースになるように細かなルールや罰則が設けられているし、コース的にも信号の1つ2つで差がひっくり返ったりしない。ドラフティング禁止だし尚更。

  ホビーレーサーの知り合い達と比べると私はちっとも速くない、ブルベ界でももっと速い人は何人も居る。それでも私は、私みたいに速さに憑りつかれて走ってるような人は、レースに出てみればいいと思う。2015年は大失敗の日記となった。次に書く2016年は反省を生かしなんとか完走している。この日記を読んで参加を考える人が現れたら嬉しいね。

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