雨上がり、気温も上がる
相変わらずなアップダウン
相変わらずなポジション、速度出ない
首は相変わらず痛く、停止してマッサージの繰り返し。休まずに走ることが全然できない。
もうダメ、肩が動かん
クルーの冨永さんはここまで私の肩や脚を揉みすぎていて「日本に帰って大丸公園(あおばブルベのスタート地点)で会ったら、揉まないといけない気分になりそうだ」と従者のような発言をしだした。いいぞ。
止まって首吊りの調整をしていると、後ろからRAAM公式のメディア班。格好のネタとばかりに取材される。
終盤のシャーマーズネックは彼女たちにしてみれば見慣れたもの?で、ああシャーマーズネックなのね、大変ね、な感じ。もちろん「頑張って」と励ましてくれるが、なにかもうダメな人を見るような哀れみな視線を感じるのは気のせいか。
ああシャーマーズネックね、な取材班
この辺りでは過去6回と男女合わせて最も多い優勝を誇るSeana Hoganさんと前後した。
女性は制限時間が21時間長い。この終盤での21時間は大きく、時間に余裕がある彼女は仮眠をとっていた。
痛みで停車した私を見た彼女のクルーはこちらに駆け寄り、肩をグッと抱き寄せ「大丈夫だ、オマエならゴールできる。これまでの努力は私が良く知っている」と囁いた。
なんだよそれ!修造か!知ってるわけないじゃん。
疲れ切ってボロボロの体には、松岡修造さんのような、そんなド直球の応援が心地よかった。
私はまあ、多分ひねくれた人間で、回りくどい言い回し好きだし、こういう応援は苦手だと思っていた。クルーもここまで献身的に働き応援してくれているが、そこは日本人的というか、バカみたいにただひたすら頑張れといった感じではなかった。
いや結構言ってくれてたっけな?ま、痛みに耐えて走ってる私に対してかける言葉はあまりなかったんだと思う。とにかくいきなり他のチームクルーからの抱擁にビビった。これはすごい。修造もっとください。
いやここまで来れてよかった
次のTSではアメリカ在住で、私のジャージを買ってくれた陣内さんが応援に来てくれていた。リタイアせずにここまでたどり着けてよかった。深夜のお便りコーナーといい、応援は本当に力になる。
影を作ってくれる
ポカポカの陽気で眠くなり、倒れるように芝生に転がる。枕を持ってきて日陰を作ってくれるクルー。そこまでしなくていいよと言いたかったが、疲れていて声も出したくないし、ありがたくサポートを受けて寝る。
この看板はマヤさんが「これ欲しいわー、どうすればいいのかしら?」といきなりオハイオのボランティアに話しかけ、5ドルで売ってもらったものだ。相変わらずマヤさんらしい。
そうそう、従者の冨永さんは流石に揉み続ける生活に疑問を感じたのか、科学の力を購入していた。
正直電動はイマイチだった
ミシシッピ川からの終盤、集中的な雨によりコースが水没しての迂回路は毎年恒例の出来事だ。本部からの連絡によると水没地点の迂回路で距離が数km伸びた模様。この時間が無い時にこれはツラい、と思ったら迂回路が倒木で通れなくなったらしく、水が引いてきた元の道を通れとの指示。
公平を期すために(後ろにいる選手がコース短縮で前の選手より有利にならないように)、一度迂回路が設定されたら元の道が通行化になっても戻らないというのがRAAMのルールだ。それが戻るのはたぶん珍しい。
水没による迂回はRAAM後半のあるある
日が暮れた後は、また断続的に強い雨に降られるようになった。
また雨か
落雷があちこちで発生してる状況で、この中を走らせるわけにはいかないとクルーは判断。車内で1時間ほど雷をやり過ごす。